
EXECUTIVE BLOG
2025.8.8
高光産業株式会社
妹尾八郎です。
昨日からの続きになります、、、。
出雲大社と皇室のつながりについて、
「どうして天皇陛下は出雲大社にお参りされないのだろう?」と
不思議に思われる方も多いかもしれません。
特に、皇族の方が出雲の家にお嫁入りされたという話を聞くと、
「それほど近い関係なら、参拝されてもよいのでは?」
と思うのも自然なことです。
でも実は、「嫁ぐこと」と「参拝すること」では、
その意味や背景がまったく違うのです。
たとえば、2014年に高円宮家の次女・典子さまが、
出雲大社の神職である千家家にお嫁入りされました。
これは皇族と出雲の家系がご縁を結ばれたという、
文化的にも大変意義のある出来事でした。
でもこのようなご結婚は、あくまでも個人としての人生の選択であり、
国としての儀式ではありません。
つまり、「嫁ぐ」というのは、
個人と個人の結びつきとしての意味合いが強く、
信仰や政治とは直接結びついていないのです。
一方で、「天皇陛下が出雲大社を参拝される」というのは、
まったく違う話です。
天皇陛下の参拝は、「御親拝」と呼ばれ、単なる個人のお参りではなく、
国家的な意味合いをもつ重要な行為です。
日本では、天照大神をまつる伊勢神宮が、特別な場所とされています。
天照大神は、天皇の祖先とされる神様であり、
伊勢神宮は「皇室の祖神をまつる神社」として、
天皇との関係がとても深いのです。
だからこそ、天皇が伊勢神宮に参拝されることは、
長い歴史の中で大切にされてきました。
これに対して、出雲大社のご祭神である大国主大神は、
「国を譲った神様」として知られています。
昔の神話では、もともと国を治めていた大国主大神が、
天照大神の使いに国を譲ったという話があります。
このため、神話の中では伊勢と出雲は、
「譲る側」と「譲られる側」として描かれており、
それぞれの立場が異なっているのです。
このような背景があるため、天皇陛下が出雲大社に参拝されることには、
とても繊細な意味が生まれてしまいます。
特に、戦後の日本では「政教分離」の考え方が大切にされています。
これは、政治と宗教を分けて考えるという原則です。
そのため、天皇陛下が宗教施設にお参りされるときには、
「これは私的な行為なのか、公的な行為なのか」と、
いつも慎重に考えられているのです。
伊勢神宮への参拝でさえ、「私的な参拝」と説明されることがあるほど、
天皇のお参りは注意深く扱われています。
そう考えると、出雲大社という特別な神社に天皇陛下が参拝されるとなると、
伊勢神宮とのバランスや、神話の意味合い、国と宗教の関係など、
さまざまな問題が出てきてしまうのです。
だからこそ、陛下の出雲大社参拝は、軽々しくはできないという事情があるのです。
こうして見てみると、
「皇族が出雲の家に嫁ぐこと」と「天皇が出雲大社を参拝されること」とは、
まったく別の意味を持っていることが分かります。
お嫁入りは個人としてのご縁であり、信仰や政治とは無関係です。
一方で参拝は、
天皇という立場の重みを伴う、国の伝統や制度に関わる大切な儀式です。
ですから、この二つは矛盾しているのではなく、
それぞれの場面で、それぞれの役割を果たしているのです。
皇室と神社、そして神話と歴史――
それらは、現代においても静かに、しかし確かに関係を保ち続けています。
出雲と皇室の関係も、その中で丁寧に守られてきたひとつの形なのです。
ここらで 出雲の話は一旦終わりで
明日は 長崎に原爆が落とされた日ですね、、
ご存知の方も多いかもしれませんが
当初の目的地は小倉のはずでした、、
それが長崎に変更になったのは 天候のせいだと言われていますが、、、、
実は、、、、、、、
の話は
明日へ続く、、、。。