
EXECUTIVE BLOG
2025.9.2
高光産業株式会社
妹尾八郎です。
昨日までは
終戦後の軍事裁判の話しでした。
ニュースなどで耳にする 靖国神社A級戦犯が どうの とかが流れますが、
一体 A級 B級 C級戦犯とは何か????
について 今日は話が進みます、、、。
太平洋戦争が終わり、日本は敗戦国として連合国の占領下に置かれることになりました。
マッカーサーを最高司令官とする連合国軍総司令部は、
日本の軍国主義を徹底的に根絶し、
平和国家へと転換させることを目的に様々な政策を打ち出しました。
その一つが「戦争犯罪人の処罰」であり、
戦争を起こした者、戦争中に違法行為を行った者、
そして人道に反する行為をした者を国際的に裁く方針が示されました。
ポツダム宣言にはすでに「戦争犯罪人は厳重に処罰する」と明記されており、
日本が降伏を受け入れた以上はこの方針に従うしかありませんでした。
そしてニュルンベルク裁判の前例に倣い、
日本でも「極東国際軍事裁判」が開かれることになり、
そこで裁かれる戦犯はA級、B級、C級に分類されました。
このA級、B級、C級という呼び方は、
罪の重さや性質によって分けられたもので、
学術的にではなく便宜的に定着した呼称です。
まずA級戦犯とは
「平和に対する罪」を問われた人々を指します。
これは戦争を計画し、開始し、遂行した責任を負う国家レベルの指導者が対象となりました。侵略戦争を始めるという決定そのものを罪とする新しい概念であり、
それまでの国際法には明確な規定がなかったため画期的なものでした。
具体的には東条英機元首相、広田弘毅元首相、板垣征四郎陸軍大将、松井石根大将など、
政治家や軍の最高指導者、外交官や官僚など28名が起訴されました。
A級戦犯は戦場で直接手を下したわけではなく、
国家の意思決定に関わった責任を問われた点が特徴で、
戦争を「起こした罪」に焦点が当てられたのです。
次にB級戦犯は
「通常の戦争犯罪」を犯した者とされました。
これはすでに戦時国際法、すなわちハーグ陸戦条約やジュネーブ条約で
禁じられていた行為に違反した場合が対象で、
捕虜に対する虐待、民間人の不法殺害、略奪や破壊行為などが含まれました。
たとえばフィリピンやビルマ、シンガポール、インドネシアなどの占領地で
日本軍が行った捕虜虐待や強制労働が訴追対象となり、
現場の指揮官や部隊長が多く裁かれました。
B級戦犯は数千人規模にのぼり、戦後各地に設置された軍事法廷で裁かれました。
次にC級戦犯は
「人道に対する罪」と分類されました。
これは単なる戦時国際法違反にとどまらず、
一般市民に対する組織的な迫害や虐殺、強制移住、強制労働など、
人道を踏みにじる非人道的行為が対象とされました。
ナチスによるユダヤ人迫害と同じカテゴリーですが、
日本の場合は中国やフィリピンの住民に対する虐殺、強制労働、
また占領政策の中での過酷な取扱いなどが主な内容でした。
つまりC級は「戦争状態の有無に関わらず、人道そのものに対する罪」であり、
戦場という枠を超えて人類普遍の倫理に反した行為が追及されました。
裁判の実施場所にも違いがありました。
A級戦犯は東京の極東国際軍事裁判、
いわゆる東京裁判で裁かれ、28人が起訴されました。
一方でB級とC級は
アジア太平洋各地に設けられた軍事法廷で個別に裁かれました。
フィリピンのマニラ、シンガポール、ラバウル、横浜など、各地で裁判が行われ、
約5700人が訴追され、そのうち1000人以上が死刑判決を受けました。
こうしてみると、
A級は戦争を「始めた」責任、
B級は戦争中の「違法行為」の責任、
C級は「人道を踏みにじった行為」の責任と、
それぞれが異なる観点で罪を問われたことがわかります。
国民の間では
「なぜ自分たちは責任を問われないのか」
「敗戦の責任を上層部だけに押し付けるのではないか」
といった声もありましたが、
一方で「戦争を始めた指導者は責任を取るべきだ」とする意見も多く、
社会全体は複雑な感情に揺れていました。
いずれにせよ、この三つの分類は単なる報復ではなく、
国際社会が新しい法秩序をつくろうとした試みの中で生まれたものだったのです。
A級、B級、C級という呼び方は今日でも広く使われていますが、
それは罪の重さを示す等級ではなく、
どのような性質の犯罪であるかを区分するための便宜的なラベルに過ぎません。
戦争を計画した指導者、現場で違法行為を行った者、そして人道を踏みにじった者、
それぞれが国際法廷において裁かれたことは、
人類史において大きな意味を持ちました。
それは戦争という非常事態にあっても人類共通の正義を貫こうとする挑戦であり、
敗戦国日本にとっては苦しい裁きであった一方、
二度と同じ過ちを繰り返さないための歴史的教訓となったのです。