
EXECUTIVE BLOG
2025.9.8
高光産業株式会社
妹尾八郎です。
昨日までは 戦犯の一人の 広田弘毅の話しでした。
本日は GHQの天皇陛下に対する政策について進みます、、、。
太平洋戦争が終わり日本が敗戦を迎えると、
国民の意識や国家体制に大きな変革を迫る出来事が次々と訪れました。
その中でも特に象徴的であったのが
昭和天皇によるいわゆる「人間宣言」でした。
現代の私たちにとって天皇が人間であることはごく自然な前提ですが、
戦前の日本において天皇は単なる人間以上の存在として位置付けられてきたのです。
では一体どのような経緯があり、
なぜ昭和天皇は「自ら人間である」と宣言せねばならなかったのでしょうか。
戦前の日本において天皇は「現人神」と呼ばれ、
神話の世界に由来を持つ神聖な存在として国民から仰がれていました。
古事記や日本書紀に描かれた天照大神を祖とする神の血を受け継ぐ存在とされ、
天皇の権威は単なる政治権力を超えて宗教的な性格を帯びていました。
明治維新後に制定された明治憲法においても天皇は「統治権の総攬者」とされ、
立法・行政・司法すべての源泉が天皇にあると規定されていました。
そのため臣民にとって天皇の存在は人知を超えた絶対的なものとされ、
写真を直視することさえ畏れ多いとされるほどでした。
国民は天皇を「神」であると同時に、忠義の対象として崇拝し続け、
学校教育や軍事訓練でも天皇への忠誠を叩き込まれました。
教育勅語では「朕惟フニ我ガ皇祖皇宗国ヲ肇ムルコト宏遠ニ…」という文言から始まり、
天皇と国民との関係を神話的な系譜に基づいて正当化し、
国民は父母に孝行し、夫婦仲睦まじく、
忠義を尽くすことを天皇の意志に応えることと位置づけられました。
こうした教育や社会規範の中で育った人々にとって、
天皇は単なる血肉を持った人間というよりも、
この国を導く神的存在であり続けたのです。
しかし第二次世界大戦に敗れた日本はGHQによる占領下に置かれ、
アメリカを中心とした連合国は日本の軍国主義を根底から解体し、
民主化を進める必要があると考えました。
その過程で問題となったのが天皇の扱いでした。
戦争責任を問う声も海外からは強く、
昭和天皇を戦犯として裁くべきだという意見も少なくありませんでした。
けれどもGHQの最高司令官マッカーサーは、
天皇を処刑すれば日本の統治が混乱し、占領政策の遂行が困難になると判断しました。
そこで天皇の存在を保持しながらも、その権威を軍国主義から切り離し、
象徴的存在へと変えていく方策が模索されたのです。
その流れの中で1946年1月1日に昭和天皇が発した詔書、
いわゆる「人間宣言」が登場します。
この詔書の正式名称は「新日本建設に関する詔書」であり、
新しい日本を築くにあたり国民に希望を与えることを目的としたものでした。
その中で特に有名なのが、
天皇が「自らを神格化することを否定した」とされる部分です。
詔書には
「朕と爾臣民との間の絆は、常に相互の信頼と敬愛とによって結ばれ、
神話と伝説に基づくものではない」という趣旨の文言があり、
これが戦前までの「現人神」としての天皇観を否定するものと解釈されたのです。
つまり人間宣言とは
「天皇は神ではなく人である」という断言に他なりませんでした。
しかしこの宣言の背景にはいくつかの複雑な事情がありました。
第一に、占領軍の意向が大きく働いていたことです。
天皇の神格化を否定させることで、
日本国民の意識を軍国主義や国家神道から切り離し、
民主主義へと転換させる狙いがありました。
第二に、天皇自身の思いも込められていました。
敗戦を経て国民に多大な苦難を背負わせた自覚の中で、
これからは国民と共に歩む姿勢を示す必要があると感じていたといわれています。
そして第三に、国内外の天皇に対する見方を変えるための政治的な意図もありました。
戦犯追及の波を回避し、天皇制を維持するためには、
人間としての天皇像を打ち出し、
戦争責任を直接的に問わせない環境を整える必要があったのです。
ではなぜ「人間である」と改めて宣言しなければならなかったのかといえば、
それは戦前教育と社会構造の影響があまりに強固だったからです。
数世代にわたって
「天皇は神聖不可侵の存在」と信じ込まされてきた国民に対して、
一気に民主化を進めるには、象徴的なメッセージが必要でした。
天皇自らがその口で
「神話によって国民との関係を語るものではない」と述べることで、
戦前の価値観に区切りをつけ、
戦後日本の新しい歩みを開始する合図とする意味があったのです。
もっとも、
この人間宣言が直ちに国民の意識を変えたわけではありません。
戦前に徹底された教育の影響は根強く残り、
戦後数十年にわたって天皇をどこか神聖視する感情は続きました。
天皇の地方巡幸では、沿道の人々が涙を流して手を合わせる姿が見られ、
「お姿を拝するだけで病が治る」と信じる人もいたと記録されています。
つまり人間宣言は理念上の大きな転換点ではあったものの、
国民の心の中に刻まれた天皇観を完全に変えるには
長い時間が必要だったのです。
戦前の天皇は政治・軍事・宗教すべてを統合する超越的存在として扱われ、
敗戦後に人間宣言を通じて国民の前に一人の人として立つ姿勢を示しました。
これは単なる形式的な言葉以上に、
日本が軍国主義から民主国家へと移行する象徴的な出来事でした。
今日私たちが「天皇も人である」と当たり前のように考えられるのは、
この歴史的な転換があったからこそであり、
またその背景には
国民の意識改革を促そうとした占領政策と、
国民と共に歩む覚悟を持った昭和天皇の意志が重なっていたのです。
人間宣言は過去を断ち切り未来へ進むための第一歩であり、
日本人の精神史においても極めて大きな意味を持つ出来事だったのです。