
EXECUTIVE BLOG
2025.9.11
高光産業株式会社
妹尾八郎です。
昨日までは 象徴天皇の話でした。
今日は 戦後 天皇陛下が各地を回る 巡幸についての話に進みます、、。
昭和天皇の戦後巡幸は敗戦直後の日本にとって象徴的な出来事でした。
焼け跡の街を歩き、農村で人々と握手を交わし、子どもに声をかける姿は、
戦前の神聖不可侵な現人神としての天皇像から一変し、
国民と共にある人間天皇の姿を強く印象づけました。
ではその巡幸は誰が決め、最初に訪れた場所はどこで、
国民はどのように受け止めたのでしょうか?????。
戦後巡幸の発案については複数の要因が重なっています。
敗戦によって天皇の存在意義は大きく揺らぎました。
国内外からは天皇を戦争責任者として裁くべきだという声も上がり、
存続そのものが危ぶまれていました。
そんな中で昭和二十一年一月一日の「人間宣言」が発せられ、
天皇は現人神としての性格を否定し
国民と信頼と敬愛によって結ばれる存在であると語りました。
しかし口先だけの宣言では不十分であり、実際に天皇自らが国民の前に姿を見せ、
苦しみを共にしていることを示す必要がありました。
宮内府の側近や政府関係者の間で、巡幸によって国民と天皇の距離を縮め、
戦後の新しい天皇像を示すべきだという考えが広まりました。
GHQもこの案に賛同しました。マッカーサーは天皇を戦犯として裁かず、
むしろ占領政策の安定のために利用する方針をとっていました。
そのため国民の支持を確保する巡幸はGHQにとっても都合が良かったのです。
そして昭和天皇自身も巡幸に積極的でした。敗戦による犠牲の大きさに責任を感じ、
「国民に申し訳ない」という思いから、
自ら国民の中に入り
励ましの言葉をかけたいという気持ちを抱いていたと伝えられています。
こうして政府、GHQ、天皇本人の意思が重なり、巡幸は実現に向かいました。
最初の巡幸地となったのは神奈川県でした。
1946年2月19日、昭和天皇は横浜市を訪れました。
なぜ神奈川が選ばれたのかといえば、東京に近く警備の準備が整えやすかったこと、
そして横浜が戦争で大きな被害を受けていた地域であったことが理由でした。
横浜は空襲で市街地の大半が焼け野原となり、多くの人々が家を失い、
飢えと寒さに苦しんでいました。
その姿を天皇が直接見て、国民と痛みを共有することに意味があったのです。
横浜での巡幸では、沿道に多くの人々が集まりました。
戦後間もない食糧難の中、着る物にも困っていた人々が、わざわざ服を整え、
天皇のお姿を拝もうと押し寄せました。
新聞報道によれば、沿道の人々は涙を流しながら「陛下」と叫び、
頭を下げ、子どもを抱きかかえて見せる姿も多く見られたといいます。
ある老婆は「お姿を拝することができただけで生きていてよかった」と語り、
ある母親は「この子の病気が良くなりますように」と祈るように子を掲げました。
つまり人間宣言によって天皇が「人」であることを示しても、
国民の多くは依然として神聖視をやめてはいなかったのです。
しかしその反応は単なる盲目的崇拝だけではありませんでした。
横浜の街を歩く天皇の姿に「自分たちの苦しみを見てくれている」と感じ、
安心を覚えた人も少なくありませんでした。
戦前は遠くにいて直接接することのできなかった天皇が、
同じ瓦礫の道を歩き、農民や労働者と同じ目線で語りかける姿は、
国民にとって衝撃的であり、新しい時代の幕開けを感じさせました。
その後巡幸は全国に広がり、
1946年から1954年にかけて天皇は36都道府県を訪れました。
巡幸先ではどこでも人々が沿道に集まり、涙と歓声で迎えました。
中には「お姿を拝めば病が治る」と信じる人もいて、
戦前からの現人神的信仰は根強く残っていました。
しかし同時に
「天皇も我々と同じ人間である」という意識が徐々に浸透していきました。
最初の横浜での巡幸はまさにその二つの意識が交錯する場面でした。
人々は涙を流しながら手を合わせましたが、
そこには単なる信仰ではなく、
荒廃した生活の中で
自分たちを気にかけてくれる存在への感謝と安堵が入り混じっていました。
戦後巡幸の意義は、
天皇が国民と共にあることを行動で示したことにあります。
宣言だけでは伝わらなかった思いを、
直接人々の前に立ち、同じ空気を吸い、同じ土を踏むことで具体化したのです。
最初の巡幸地・横浜で見せたその姿は、戦後の象徴天皇像の出発点となり、
国民の記憶に深く刻まれました。
そしてこの伝統は現在にまで受け継がれています。
災害が起これば天皇や皇后が被災地を訪れ、
被災者の手を取り言葉をかける姿が報じられますが、
その原点は昭和天皇の戦後巡幸にあります。
最初の巡幸で国民が涙と共に受け止めた「共に生きる天皇」の姿こそが、
戦後の象徴天皇制を定着させる大きな力となったのです。