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社長&顧問ブログ

2025.9.24

お彼岸

高光産業株式会社

妹尾八郎です。

 

昨日は秋分の日であり

お彼岸の話しでした、、、。

 

では、

このお彼岸の習慣はいつから始まったのでしょうか??。の話に進みます、、、。

 

 

歴史をひもとくと、日本でお彼岸が広まったのは平安時代とされています。

仏教が伝来したのは6世紀半ばですが、

当初は貴族や支配層の信仰にとどまっていました。

 

やがて奈良時代から平安時代にかけて仏教行事が国家的に取り入れられるようになり、

その一環として彼岸会(ひがんえ)と呼ばれる法会が営まれるようになりました。

 

最初に記録に残るのは西暦806年で、

嵯峨天皇が春分と秋分の日に仏事を営んだのが起源とされています。

これが次第に貴族から武士、そして庶民へと広がり、

江戸時代には一般庶民の生活行事として完全に定着しました。

 

特に江戸幕府は寺請制度を設け、庶民の生活と仏教寺院を強く結びつけたため、

お彼岸の墓参りや先祖供養は全国に普及していきました。

 

庶民にとっては春と秋の農作業の節目であり、

田畑の手入れや収穫に合わせて自然に感謝しつつ、

祖先にも感謝を伝える行事として根付いていったのです。

 

お彼岸は日本独自の習慣で、仏教発祥のインドや中国、朝鮮半島などには存在しません。

仏教思想の「彼岸」と、日本古来の祖霊信仰や自然崇拝が結びつくことで生まれた、

日本ならではの行事なのです。

 

日本人は古来より、亡くなった祖先の霊が子孫を守り導くと考えてきました。

お盆や年中行事の中でも、先祖供養は生活に欠かせないものでしたが、

仏教の彼岸思想が加わることで、

春分と秋分に先祖を敬う特別な習慣が形づくられました。

 

この背景には、昼夜が等しくなる特別な時期に、

あの世とこの世が最も近づくという感覚がありました。

 

したがってお彼岸は、祖先を偲び、

同時に自然と調和して生きることを自らに確認する大切な時期であったのです。

 

現在でもお彼岸には、多くの人が墓参りに出かけ、

仏壇に季節の花やおはぎを供えます。

 

おはぎやぼたもちを供える習慣も、

春は牡丹の花にちなみ「牡丹餅」、

秋は萩の花にちなみ「お萩」

と呼ぶようになり、

いずれも小豆の赤い色が邪気を払うと考えられてきました。

 

このように食文化とも結びつき、

季節を感じながら先祖に感謝する行事として受け継がれてきたのです。

秋分の日は農耕の節目であり、自然に感謝する日であり、

さらに先祖を偲ぶ日としての意味を持っています。

 

日本の四季と生活、神道と仏教の融合、

そして家族や祖先とのつながりを大切にする心が一つになった象徴的な祝日なのです。

 

現代社会では生活様式が大きく変わり、

昔ほど自然の移ろいを意識しない人も増えていますが、

秋分の日やお彼岸は改めて自然と先祖への感謝を思い起こさせてくれます。

 

昼と夜が等しいこの日に、

私たちはバランスや調和の大切さを学ぶことができますし、

家族で墓参りをし、先祖の存在に感謝することで、

自分たちが生かされていることへの気づきを得られます。

 

秋分の日とお彼岸は、

過去から未来へと人々の心をつなぐ架け橋であり、

日本人の精神文化を象徴する行事なのです。

高光産業株式会社 公式サイト

https://takamitsu.com/

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