
EXECUTIVE BLOG
2025.10.2
高光産業株式会社
妹尾八郎です。
昨日までは ミャンマーの話しから
アウンサンスー・チーの話になりました。
今日もミャンマーの軍政の話に進みたかったのですが
10月に入りましたね、、
10月と言うと 神無月と言われています。
今日はこの神無月についての話になります、、、
10月は昔から神無月と呼ばれてきましたが、
なぜそう呼ばれるのかという理由は一つではなく、
古い文献や民間信仰、祭祀の実態などが複雑に絡み合っています。
まず大前提として神無月という呼び名は旧暦の10月を指しており、
現代の暦に当てはめるとだいたい11月頃にあたります。
旧暦では季節の移ろいが今とは少しずれており、
10月は秋の終わりから冬の始まりを告げる時期で、
時雨が降り始めたり初霜が見られたりする季節でした。
この旧暦に結び付いた月の呼び名を和風月名といい、
睦月や如月、弥生といった呼称も同じく旧暦に合わせて使われていました。
したがって現代の10月に神無月というと少し早い感じがしますが、
元々は
11月頃の風物に寄り添った呼び名であったことをまず理解する必要があります。
歴史的には神無月という言葉は平安時代にはすでに定着しており、
文学作品にも頻繁に登場します。
たとえば源氏物語では神無月は時雨がちな季節として描かれ、
古今和歌集にも「神な月」を詠み込んだ歌が残されています。
つまり千年以上前から宮中や貴族社会では
神無月という呼び名がごく自然に用いられており、
和歌や物語を通して広く知られるようになったと考えられます。
ではなぜ神無月という名が生まれたのかというと、
大きく分けて三つの系統の説があります。
第一は
もっとも有名な出雲集合説です。
全国の八百万の神々が旧暦の10月に出雲大社へ集まり、
人々の縁や運命について話し合う会議を行うと信じられていました。
出雲地方ではそのために逆に神在月と呼び、神迎祭や神在祭といった神事が行われます。
この説に基づけば日本中の神々が留守になるため神無月と呼ぶことになり、
民間でもよく知られる説明として今も語られています。
第二の説は
語法に基づくもので、古語では無という字が
「の」を意味する助詞として使われることがありました。
水無月が「水の月」と解されるのと同じで、神無月も「神の月」と解釈できるのです。
神をまつり神慮を仰ぐ大切な月という意味合いで、
暦や辞典の解説でもよく紹介される考え方です。
第三の説は
行事や季節語から派生したとされるもので、
伊勢神宮で行われる神嘗祭の名が
「かんなめ」から「かんなづき」へと転じたとする説や、
雷が鳴りをひそめるから「雷無月」とする説、新米で酒を仕込む「醸成月」とする説、
稲刈りの最中なので「刈稲月」とする説などがあり、さまざまな古書に記されています。
今日では主要な説明としては出雲集合説と無=の説が定説に近く、
その他は民俗的な語源説として補足的に語られることが多いです。
出雲大社での行事を少し詳しく見てみると、
旧暦の10月10日頃に全国の神々を迎える神迎祭が斎行され、
その後数日間にわたって神在祭が行われます。
神々は稲佐の浜から出雲大社へと迎えられ、
縁結びや農業、漁業、家内安全などあらゆる分野に関わる縁を取り決めるとされます。
祭りの終わりには神々がそれぞれの地へ戻られる神等去出祭があり、
出雲ではこの時期を特別に「神々の集う月」として重んじています。
民間の人々もこの時期に縁を祈願したり、
良縁を願って参拝したりする風習が残っており、
神無月という呼び名が単なる月名ではなく
信仰と深く結びついていたことがよくわかります。
また伊勢神宮の神嘗祭も忘れてはならない重要な行事です。
新米を天照大神に捧げ、五穀豊穣を感謝する祭りで、
旧暦の10月に行われてきました。
ここから神嘗月が転じて神無月になったという説は、
伊勢神宮が古代から特別な地位を持っていたことを考えると説得力があります。
こうして見ていくと神無月という呼び名は、
単に「神様がいない月」というだけではなく、
むしろ「神様に特別な縁がある月」という意味を多層的に含んでいることがわかります。
神々が出雲に集い縁を結ぶ月であり、神に新穀を捧げ感謝する月であり、
また古語の語法からすれば「神の月」であるということです。
どの説も人々の生活や信仰と深くつながっており、
ただの言葉遊びではなく文化や行事の中で育まれてきた背景を持っています。
さらに神無月の季節感について触れておくと、平安文学にあるように時雨の季節であり、
都では冷たい雨に衣を濡らす風情がしばしば詩歌に詠まれました。
農村では稲刈りや収穫を終えて冬支度に入る時期で、
収穫に感謝する祭りや酒造りの準備などが行われ、
まさに神と人とを結ぶ節目の月であったのです。
総合すると神無月の由来は一つではなく、平安時代にはすでに定着していた月名であり、
その理由については出雲集合説、無=の説、神嘗祭由来説などが併存しています。
現代の私たちにとってはどの説を信じるかよりも、
この呼び名が長い歴史の中で
人々の信仰と生活に深く根付いてきたことを知ることのほうが意味が大きいでしょう。
旧暦の10月すなわち今の11月頃に、日本の各地で神をまつる行事が連なり、
出雲では神在祭、伊勢では神嘗祭が行われるという事実を思えば、
神無月はまさに「神と人との縁を確かめ直す月」と呼ぶにふさわしいと言えます。
そしてその呼び名は千年以上の時を超えて現代に伝わり、
私たちが季節を感じ、信仰を意識する手掛かりとして生き続けているのです。