
EXECUTIVE BLOG
2025.10.3
高光産業株式会社
妹尾八郎です。
昨日までは 神無月の話しでした
今日はその続きです、、、。
日本の古い伝承によれば旧暦10月は神無月と呼ばれ、
全国の神々が出雲大社に集まるため各地から神様が留守になると信じられてきました。
出雲だけは逆に神在月と呼ばれ、今も旧暦10月には神在祭という神事が続けられています。
では、なぜ神々の集まりが10月でなければならないのか???、
その理由は単に神話の作り話ではなく、
日本の古代社会の生活のリズムや農耕文化、
そして出雲信仰の広がりと密接に関係しています。
古代日本は稲作を中心とする農耕社会であり、
人々の生活は田の耕作と収穫を軸に回っていました。
旧暦10月、今の暦で言えば11月頃は、
全国的に稲刈りが終わり収穫を無事に終えた直後の時期です。
春に田を耕し、夏に稲を育て、秋に刈り取るという一年の大きな営みを終えたこの時期は、農民にとって安堵と感謝の時であり、
同時に次の年の豊作を願う祈りの時でもありました。
したがって神々が集まるのは必然的にこの時期と考えられ、
収穫の成果を神に感謝し、
新しい一年の縁や運命、天候や豊穣について
神々が話し合うのだと人々はイメージしたのです。
日本各地では新米を神に捧げる新嘗祭や神嘗祭が行われますが、
それと同じように神々自身も会合を持つと考えることで、
人間の営みと神の世界とが自然に重ね合わされました。
出雲大社が「縁結びの神」として信仰されるのも、この背景に結びついています。
縁とは男女の結婚にとどまらず、人と人との出会いや家と家の結びつき、
国同士の関係、仕事や学びの縁など広い意味を持ちます。
旧暦10月という一年の終盤に神々が集まり、人間世界の縁を整理し、
翌年に向けて新しい結び直しを行うという考え方は、
暦上の節目と農耕の一区切りに非常にふさわしいものでした。
出雲大社の祭祀暦においても旧暦10月は特別で、
今も神迎祭から神在祭、そして神等去出祭まで一連の行事が厳かに営まれています。
まず旧暦10月10日前後に出雲市の稲佐の浜で神迎祭が行われ、八百万の神々を迎えます。
海からやってきた神々は大社に集い、神在祭で「神議」と呼ばれる会議を開き、
人間の縁や運命を決めるとされています。
これが出雲信仰の大きな特徴であり、
縁結びの神としての大国主命の役割とも重なります。
そして10月末には神々が各地に戻る神等去出祭が行われ、
再びそれぞれの土地へと散っていきます。
こうした一連の祭りが古代から続いてきたことで、
出雲に神々が集まる時期が旧暦10月に定着したのです。
神話そのものには、
古事記や日本書紀に「神々が10月に出雲へ集まる」と明記されているわけではありません。この伝承は後世になって形づくられた信仰だと考えられます。
しかし出雲は国譲り神話や大国主命の物語で特別な意味を持つ土地でした。
国譲りの物語では大国主命が天照大神に国を譲り、
代わりに出雲大社に鎮まることになったとされます。
そのため出雲は神々にとって特別な場所とされ、
そこに八百万の神々が集まるという発想は自然な広がりを見せたのです。
中世以降、出雲信仰が全国に広がるにつれて「神在月」の伝承も広まり、
人々は毎年10月になると神々が出雲に集まると信じるようになりました。
各地の神社では神無月に神がいなくなると考え、
出雲だけが神在月と呼ばれるようになったことは、
日本人の信仰の柔軟さをよく表しています。
農耕のリズム、暦の区切り、出雲大社の神話的特別性、これらが重なり合った結果、
神々の集会は旧暦10月に行われると強く意識されるようになったのです。
10月でなければならない理由は、
まさにこの農業と祭祀と神話が一体となった日本人の生活のリズムにあるのです。
収穫を終え、人々が神事に専念できる余裕が生まれるこの時期に神々が一堂に会し、
人間世界の縁や運命を定めると信じられることで、
出雲の神在祭は今も大切に受け継がれています。
現代においても旧暦10月になると全国から参拝者が集まり、
出雲大社の神在祭に参加します。
観光や文化イベントの要素も強まりましたが、
神々が縁を取り結ぶという信仰は変わらず人々の心を惹きつけています。
結局のところ、神々が10月に出雲へ集うという伝承は、
人間の営みと自然のサイクルを神の世界に重ね合わせた古代人の知恵であり、
暦の中で最もふさわしい時期が旧暦10月だったということになります。
出雲と言えば アノ物語がありますね
その話しは????
明日へ続く、、、。