
EXECUTIVE BLOG
2025.10.14
高光産業株式会社
妹尾八郎です。
昨日までは 桃太郎神社の話しでした。
今日もこの続きとなります。
岡山県の吉備地方に伝わる「温羅(うら)」という人物は、
桃太郎伝説の鬼のモデルとも言われています。
けれども、その正体は単なる悪い鬼ではなく、
古代に異国から渡ってきた知恵と技術を持つ豪族だったと考えられています。
温羅の名は古代の物語や神話の中で語られ、
今も「鬼ノ城(きのじょう)」や「鳴釜神事(なるかましんじ)」
などの伝承として残っています。
そんな温羅という名は、今の日本に名字として存在しているのでしょうか。
実は、公式な戸籍上には「温羅」という名字は存在していません。
日本全国の名字辞典や戸籍統計を調べても、その表記は見つからないのです。
理由は簡単で、「温羅」はもともと人名であり、
姓(苗字)として受け継がれる形で残らなかったからだと考えられています。
温羅という人物は、
吉備国を治めた渡来系の王族、あるいは鍛冶技術をもたらした首長とされ、
朝廷に討たれた後はその血脈が地域に溶け込んでいったと伝えられています。
つまり名字としては消えてしまったものの、
文化や記憶としては人々の中に息づいているのです。
一方で、「温羅」という音に近い名字は、今も日本各地にたくさんあります。
たとえば「浦(うら)」「浦上(うらがみ)」「浦野(うらの)」「浦田(うらた)」などです。
これらは主に海辺の地名から生まれた姓ですが、
古代には「浦部」という氏族が存在しており、「卜部」という姓も古くから知られています。
「卜部」は神職の家系に多く、神意を占う“うらなう”という言葉から生まれました。
発音上は「うら」と非常に近く、
温羅と卜部が古代のどこかで同源だったのではないかと考える人もいます。
卜部氏は平安時代以降、全国の神社で神事や占いを担ってきた家系であり、
もし温羅が吉備の神とされていった過程で神職の役割に転化したとすれば、
卜部の姓の中にその痕跡が潜んでいるかもしれません。
岡山の地元では、温羅の子孫を名乗る家や伝承が今も残っています。
鬼ノ城のふもとには「鬼の家」と呼ばれる家系があり、
代々、温羅の血を引いていると語り継がれています。
吉備津神社周辺にも「温羅の末裔」とされる家があったという記録があり、
古くから鍛冶師の家や鉄器を扱う職人の家がその流れをくんでいたともいわれています。
温羅は鉄の技術を持つ異国の豪族だったという説が有力で、
鉄を溶かし、刀や農具を作る知恵を持っていたとされます。
そのため、彼の血を引く者たちが鍛冶集団として生き残り、
地域に技術を伝えていったと考えられます。
実際、備中や吉備の地域には古代の製鉄遺跡が数多くあり、
温羅伝説と重なる地名も残っています。
たとえば「血吸川」「矢喰宮」「首部」「体部」など、
温羅が戦ったとされる場所やその最期を伝える名が今も地図に刻まれています。
これらの土地に住む人々の中には、
自分の祖先が温羅の一族だったと信じている方々もいて、
昔から語り継がれる家伝がいくつもあります。
学問的な証拠は残っていませんが、口伝による系譜や信仰の形として、
温羅の血が今も人々の心の中に生きていることは確かです。
また、古代朝鮮語で「オラ」「ウル」といった音を持つ言葉があり、
これが「ウラ」という日本語音に変化したとする言語学的な説もあります。
百済や新羅の王族には「於羅(オラ)」や「尹(ユン)」といった似た発音の氏が存在し、
温羅がその一族であった可能性も否定できません。
百済が滅びた後、多くの技術者や知識人が日本に渡り、
大和政権に仕えたり、地方豪族と結びついたりしました。
吉備地方はその受け入れ地のひとつであり、温羅がその象徴であったとも言えるのです。
つまり温羅とは、単なる鬼ではなく、古代の国際交流の証でもあったということです。
吉備津神社では今も「鳴釜神事」が行われています。
これは釜に湯を沸かし、その音で吉凶を占う神事で、
温羅の霊が釜の下に封じられていると伝えられています。
釜が強く鳴れば吉、静かなら凶とされ、
温羅の魂が今も神と共に生きていることを象徴する儀式です。
吉備津彦命と温羅は、戦いののちに互いを認め合い、主従の契りを交わしたともいわれます。つまり、敵同士でありながら、最後は和解して神と鬼が一体となったのです。
この物語は、征服と支配の歴史を超え、
文化と信仰が融合していった日本の古代像を示しています。
現在、岡山県総社市や岡山市では
「温羅まつり」や「温羅太鼓」などの文化行事が行われ、
温羅の名は地域の誇りとして親しまれています。
観光地としての鬼ノ城も、
古代ロマンと伝説が融合する神秘的な場所として多くの人が訪れます。
そこでは、温羅はもう恐ろしい鬼ではなく、吉備の民を守り、
知恵と力を与えた英雄として語られています。
つまり温羅の名字は公式には存在しませんが、
非公式にはその血と文化が脈々と続いているのです。
温羅という名は、今も人々の心の中で生きる“魂の名字”と言えるでしょう。
そして、それは吉備の地に根づいた歴史の証として、
静かに息づいているのです。