
EXECUTIVE BLOG
2025.10.21
高光産業株式会社
妹尾八郎です。
昨日までは 聖火の話しでした
今日は 何故 オリンピックに火が必要なのか?
の話に進みます、、、。
オリンピックの開会式といえば、誰もが思い浮かべるのは聖火の点火シーンです。
暗闇の中を一筋の光が駆け抜け、会場が炎に包まれる瞬間は、
世界中の人々に感動を与えます。
しかし、なぜオリンピックに“火”が必要になったのでしょうか。
ただの儀式や演出ではありません。
そこには、人類の長い歴史と、クーベルタンが願った
「平和と友情の理想」が深く込められているのです。
火は古代の時代から、人類にとって最も神聖な存在でした。
火を得たことが文明の始まりであり、暗闇を照らす光であり、命を守る温もりでした。
古代ギリシャの人々にとっても、火は神々の贈り物と考えられていました。
オリンピアの祭典では、ヘスティア女神の神殿に聖なる火が灯され、
競技の間は絶やすことなく燃やし続けられていたのです。
つまり、火は「神と人とを結ぶもの」であり、
「純粋なエネルギー」「生命の源」の象徴でした。
この古代の精神を現代に甦らせようとしたのが、
近代オリンピックを生み出したクーベルタン男爵です。
彼はスポーツを「人と人とを結ぶ教育の手段」と考えていました。
民族や宗教、立場を超えて、フェアプレーの精神で互いを認め合うことこそが、
平和への道だと信じていたのです。
その理想を目に見える形で表す象徴として、「火」は最もふさわしいものでした。
火は境界を越え、言葉を超えて、人の心に訴えかける力を持っています。
ただし、クーベルタンの時代にはまだ聖火リレーは存在していません。
聖火が初めて導入されたのは1936年のベルリン大会です。
このとき、太陽光で採火された炎をギリシャのオリンピアから
ドイツまで運ぶリレーが初めて行われました。
現代の聖火リレーの原点です。
ベルリン大会の主催者は、古代ギリシャの精神を重ね合わせることで、
オリンピックの伝統と神聖さを強調しようとしました。
その演出が成功したことで、聖火はオリンピックの欠かせない象徴となったのです。
では、なぜ太陽の光から火を起こすのでしょうか。
それは、人の手によるものではなく、
自然から授かる「純粋な光」であることを示すためです。
人間の力ではなく、天地の恵みから生まれた炎。
そこに、すべての国が等しく自然のもとに生きるというメッセージが込められています。
聖火は単なる炎ではなく、「オリンピズムの魂」そのものを象徴しているのです。
リレーによってその火が途切れることなくつながれていくのは、
人類の絆が絶えないことを願う象徴です。
火は一人では運べません。多くの手を経て、町から町へ、国から国へとつながっていきます。そこには「人の心がバトンとなってつながる」という美しい意味が込められています。
どんなに時代が変わっても、誰かが誰かに火を渡し続ける限り、
平和の願いは生き続けるのです。
もしクーベルタンがこの聖火リレーを目にしていたら、きっと深く感動したことでしょう。彼が唱えた「スポーツは教育である」という理念が、
まさに形となって世界を駆け抜けているからです。
火を運ぶランナーは、ただの伝達者ではありません。
彼らは希望の担い手であり、友情の象徴なのです。
どんな立場の人でも、手にするトーチの光は同じ。
そこに差別も、国境も存在しません。
聖火はまた、「平和への誓い」を意味します。
戦争や災害で大会開催が危ぶまれた時代にも、聖火だけは消えずに燃え続けてきました。
第二次世界大戦中、オリンピックが中止された間も、ギリシャでは聖火の儀式が守られ、
戦後の再開を祈る火が灯され続けていたといいます。
その火は、絶望の中でも希望を失わない人々の心のように、静かに燃え続けたのです。
オリンピックが「勝つこと」だけを目的とする祭典ではないのは、この火があるからです。
聖火は、勝者も敗者も包み込む光です。勝敗を超えた「人類の理想」を象徴しています。
そこには、「スポーツを通じて世界をより良くする」という、
クーベルタンの願いが生きています。
彼はかつてこう語りました。「最も重要なのは勝つことではなく、参加することである」と。この言葉が、聖火の炎にそのまま重なります。
時代が進み、技術が発達しても、オリンピックの炎だけは原点を忘れません。
どんな最新技術を使った演出よりも、一本の火が放つ光には力があります。
人類が長い歴史の中で失わずにきた尊い象徴だからです。
火は命を照らし、希望を照らし、心を照らします。
その炎がある限り、オリンピックは単なるスポーツ大会ではなく、
人類の絆を確かめ合う“祈りの祭典”であり続けるのです。
だからこそ、聖火が掲げられる瞬間、私たちは胸が熱くなるのです。国も言葉も違う人々が、同じ炎を見つめて感動を分かち合う、、、
それこそがオリンピックの本当の姿ではないでしょうか。
聖火は、燃えるたびに私たちに問いかけます。
「あなたの心の中にも、この光がありますか?」と。
オリンピックの炎は、ただの火ではありません。
それは、人類の希望そのもの。
クーベルタンが夢見た「教育」「友情」「平和」「尊敬」という理想を、
静かに、しかし確かに照らし続けているのです。
どんなに時が流れても、どんなに世界が変わっても、この火だけは消えることはありません。オリンピックの聖火とは、すなわち「人間の心に宿る永遠の光」なのです。