
EXECUTIVE BLOG
2025.10.22
高光産業株式会社
妹尾八郎です。
昨日まではオリンピックの聖火の話しでした。
今日は 近代オリンピックの生みの親である
クーベルタンのお墓の話に進みます、、、。
近代オリンピックの父と呼ばれるピエール・ド・クーベルタンは、
1937年9月2日にスイスのジュネーブで亡くなりました。享年74歳でした。
彼は生涯を通じて
「教育による人格の完成」と「スポーツによる世界平和」を訴え続けた人物です。
その功績により、彼の死後には世界各国から多くの弔問と敬意が寄せられました。
クーベルタンの遺体はスイス・ローザンヌのボワ・ド・ヴォー墓地に埋葬されましたが、
彼の「心臓」だけは別の場所に運ばれ、ギリシャのオリンピアに眠っています。
なぜこのような特別な埋葬が行われたのかには、
彼の人生と理念の象徴的な意味が込められています。
クーベルタンは若い頃から古代ギリシャの文化と精神に強い憧れを抱いていました。
彼が目指した近代オリンピックは、
古代オリンピアで行われていた神々への奉納競技を理想とし、
「スポーツによる人格の育成」と「国境を超えた友情の促進」を目的としていました。
オリンピックを通して人類が互いを理解し、平和を築いていくことこそが彼の願いでした。
そのため、クーベルタンにとってギリシャのオリンピアは「理想の原点」であり、
単なる遺跡ではなく、オリンピズムの魂が宿る聖地でした。
晩年、彼は自らの心臓をオリンピアに葬ってほしいという遺言を残しました。
これは、彼の理念の中心である
「オリンピズムの精神」を永遠にその地に留めたいという強い願いによるものでした。
1938年3月26日、ギリシャ王国の王太子パウロスの立ち会いのもと、
クーベルタンの心臓は厳粛な式典でオリンピアの丘に埋葬されました。
現在、その場所には「クーベルタン記念碑」が建てられています。
白い大理石でできた碑の中央には五輪のマークが刻まれ、
彼の功績と精神を讃える碑文が彫られています。
碑の中には小さな金属製のカプセルに納められた心臓が安置されています。
訪れた人々はその前に立つと、まるで彼の心臓が今も脈打ち、
オリンピックの理想を語り続けているかのように感じるといいます。
こうした「心臓を別の場所に葬る」という行為は、
ヨーロッパでは中世以来の伝統があります。
王や英雄が、自分の身体を故郷に、心臓を愛した地に埋めるという形で、
精神的なつながりを後世に残す象徴的な方法として用いられてきました。
クーベルタンの選択も、まさにこの伝統を受け継ぐものでした。
彼にとってローザンヌはオリンピック運動の拠点であり、
身体はその地で静かに眠るのがふさわしかったのです。
しかし、心臓、すなわち「情熱」と「理想」を生み出した源は、
オリンピアにこそあると考えたのです。
つまり、
彼の身体はオリンピックを育てた地に、
心はオリンピックが生まれた地に置かれたというわけです。
ローザンヌの墓地には、
彼の名前とともに「近代オリンピック創始者」と刻まれた墓石が建っています。
湖畔の静かな場所にあり、IOC本部からもほど近く、今でも多くの人々が訪れます。
一方、ギリシャのオリンピアに建つ記念碑は、古代競技場の跡地にほど近く、
周囲にはオリーブの木々が並び、風が吹くと葉がさざめき、まるで彼の心臓の鼓動のように感じられると言われています。
この二つの墓は、クーベルタンの人生を象徴しています。
ローザンヌの墓が「現実の努力と組織の象徴」であるならば、
オリンピアの心臓は「理想と情熱の象徴」です。
彼は生涯、教育とスポーツを通じて人間を育て、世界を結ぶことを目指しました。
オリンピック憲章の中にある
「より速く、より高く、より強く(Citius, Altius, Fortius)」という言葉は、
彼の教育哲学そのものを表しています。
彼にとってオリンピックは単なる競技大会ではなく、人類の精神を高める“心の運動”でした。
心臓をオリンピアに残すという行為は、
まさにその精神を永遠に生かし続けるための象徴だったのです。
今でもオリンピックの開会式で聖火が灯される時、オリンピアの地から採火されるのは、
単なる伝統ではなく、クーベルタンの心に宿る光を現代に受け継ぐ儀式でもあります。
彼の心臓が眠るその場所から、オリンピックの炎が世界各地へと渡っていくというのは、
実に詩的で象徴的な出来事です。
クーベルタンの墓と記念碑は、どちらも彼の人生の集大成を語りかけています。
人は死してなお、理念を残すことができる。
肉体は滅びても、心が誰かの中に生き続ける。
クーベルタンの選んだ埋葬の形は、まさにそのメッセージを伝えています。
ローザンヌに眠る身体と、オリンピアに鼓動する心臓。
その両方がひとつとなって、
近代オリンピックという永遠の祭典を支え続けているのです。