
EXECUTIVE BLOG
2025.10.23
高光産業株式会社
妹尾八郎です。
昨日までは スポーツの日からの話しで
それに関して オリンピックなどの話しでした。
今日は 話が変わって 明治大学の話に進みます、、、。
先日明治大学で講義を行いました。
大学といえば慶應義塾大学は福沢諭吉、早稲田大学は大隈重信が創立者ですが、
明治大学の創立者はいったい誰だろうとふと思いました。
調べてみますと、
明治大学の前身は明治十四年一月十七日に設立された「明治法律学校」で、
創立したのは三人の若い法律家でした。
岸本辰雄、宮城浩蔵、矢代操の三名です。
三人とも幕末から明治にかけて各地の藩から選抜され、
司法省の法学校で学び、当時の最新学問であったフランス法の影響を受けた人たちでした。
中でも岸本辰雄はフランスに留学し、
法学士号を取得して帰国後は判事として働きながら法律教育に情熱を注いでいました。
こうした背景のもとに、
三人は「近代法を学び、国を支える人材を育てたい」という強い思いから
明治法律学校を設立しました。
創立の趣意書には
「同心協力して一つの学校を設立し、まさに一般の人々と協力して、
大いに法の道理を講究し、その真諦を拡張しようと思っている」
と記されています。
この言葉からは、学問を特定の階層だけのものにせず、
社会全体で学びを共有しようという理念が伝わってきます。
また「真諦を拡張しよう」という言葉には、受け身で知識を得るのではなく、
自ら探究して広めていく姿勢を感じます。
こうした考え方が明治大学の建学精神「権利自由、独立自治」に通じています。
法を学ぶことで個人が権利を知り、自由を尊び、
自立して考える人間になるという教育方針は、
まさに近代日本の理想を象徴していたのです。
では「明治大学」という名前にはどんな意味があるのでしょうか。
明治法律学校という名称の「明治」には、単に時代の元号という意味だけでなく、
明治天皇の治世に生きる喜びと誇りを表す気持ちが込められていたといわれています。
「私的に聖徳の高い天皇に遭遇する喜びを顕わすもの」という記録も残されており、
この時代に教育を通して国を良くしたいという創立者たちの志が感じられます。
その後、明治三十六年に明治法律学校は「明治大学」と改称され、
法律だけでなく幅広い学問を扱う総合大学としての歩みを始めました。
法律学校から大学へと変わることは、学問の領域を広げ、
社会全体に貢献する姿勢を示したものでもありました。
また「明治」という名前を残すことで、
この時代を築いた精神を未来へ伝えようとする意志も感じられます。
明治大学の発祥地は東京・数寄屋橋の一角、現在の有楽町付近にあり、
そこには今も「明治大学発祥の地」の記念碑が建てられています。
創立者たちは都心の中心から社会に学問を広めようという思いで、
この地を選んだといわれています。
明治法律学校から明治大学へと発展していく過程で、
大学は法学、政治学、文学、商学などの学部を設け、
やがて日本を代表する私立大学の一つになりました。
その根底には「権利自由、独立自治」という創立当初の精神が今も息づいています。
創立者たちは法律知識を持った官僚を育てるのではなく、
法律を通じて自由と正義を守る独立した個人を育てようとしました。
この理念は現代の教育にも通じるものがあります。
社会の変化に合わせて新しい学びを提供しながらも、
自由な精神と独立心を重んじるという姿勢は創立以来変わっていません。
私が講義を終えたあと、この大学の歴史を調べてみようと思ったのは、
大学とは単に知識を学ぶ場所ではなく、
その根本に「何のために作られたのか」という創立者たちの思いがあると感じたからです。
慶應義塾や早稲田のように、明治大学にも強い建学の理念があります。
それを知ることで、今学ぶ意味をより深く考えることができます。
法を学ぶことは、権利と自由を理解し、他者と共に社会をつくることでもあります。
明治大学の名に込められた「明るく治める」という意味の通り、
創立者たちは知と正義の光で社会を導こうとしたのだと思います。
改めて、大学という場所には時代を越えた志が込められていることを感じました。
明治大学の歴史を知ることで、学ぶことの尊さと、
社会に貢献する学問の使命をあらためて考えさせられました。