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2025.10.29

親鸞

高光産業株式会社

妹尾八郎です。

 

昨日までは

法然と極楽浄土の話しでした

今日は 法然の弟子である親鸞と 彼が広めた浄土真宗の話しに進みます、、、

 

法然上人は平安時代の末期に生まれ、幼いころに父を亡くし、

人の世の儚さを深く感じて仏門に入りました。

 

比叡山で長い修行を積んだのち、あらゆる教えを学びながらも、

どの修行も煩悩にとらわれた人間には難しすぎると悟ったのです。

 

そこで法然上人は、どんな人でも救われる道を求め、

『観無量寿経』という経典の中にある阿弥陀仏の本願に出会いました。

阿弥陀仏は

「どんな人でも、南無阿弥陀仏と念ずれば必ず救う」と誓っていると説かれています。

 

法然上人はこの教えに深く感動し、「念仏こそ万人を救う唯一の道だ」と確信して、

専修念仏の教えを広めました。

これがのちに「浄土宗」と呼ばれるようになったのです。

 

当時の仏教界では、念仏をただ唱えるだけで救われるという考えは革新的でした。

比叡山のような伝統的な宗派では、修行や戒律を守ることが重視されていたからです。

 

しかし法然上人は、庶民も武士も女性も、誰であっても

阿弥陀仏を信じて念仏すれば救われると説きました。

その優しさと平等の精神が多くの人々に受け入れられ、

念仏の輪は全国に広がっていきました。

 

弟子の中でも特に有名なのが親鸞聖人です。

親鸞聖人は京都の貴族の家に生まれ、九歳で出家して比叡山で修行しましたが、

厳しい修行の中で心の平安を得ることができず、

三十歳を過ぎて法然上人のもとを訪ねます。

 

法然上人の教えに出会った親鸞聖人は、長年の悩みが晴れる思いをし、

「人は修行や功徳で救われるのではなく、

阿弥陀仏の慈悲によって救われるのだ」と深く悟りました。

 

それ以来、親鸞聖人は法然上人の教えを生涯の道と定めます。

 

ところが、法然上人の教えが庶民に広まるにつれて、

当時の朝廷や既存の宗派からの反発も強くなりました。

 

念仏を唱えるだけで救われるという教えは、

従来の修行や供養を重んじる僧侶たちから見ると脅威だったのです。

 

やがて法然上人と弟子たちは流罪に処され、親鸞聖人も越後へ流されます。

流罪の地で親鸞聖人は、自分が僧侶であることにも意味を感じなくなり、

結婚して妻帯し、在家の立場で阿弥陀仏の教えを説くようになります。

 

これが、後に浄土真宗として形づくられていく信仰の原点となります。

 

では、なぜ親鸞聖人は師である法然上人の教えをそのまま受け継ぐのではなく

、新しい宗派を生み出したのでしょうか。

 

それは、親鸞聖人が念仏の本質をさらに深く理解し、

人間の弱さと阿弥陀仏の慈悲の関係をより明確にしたからです。

 

法然上人は

「念仏を称えることで往生できる」と説きましたが、

親鸞聖人は

「念仏を称えることが救いの原因ではなく、

阿弥陀仏を信じる心がすでに救われた証なのだ」と考えました。

 

つまり、念仏は救われるための手段ではなく、救われた喜びを表す言葉なのです。

これが両者の大きな違いです。

 

浄土宗では、

念仏を称え続けることが修行であり、その積み重ねによって極楽往生を願います。

浄土真宗では、

念仏を称えることは阿弥陀仏の慈悲にすでに包まれていることの証であり、

修行というよりも感謝の表現なのです。

 

ですから、

浄土宗では念仏の回数や時間を重んじる傾向がありますが、

浄土真宗では回数にはこだわらず、「信じる心」そのものを中心に据えています。

 

また、

浄土宗では阿弥陀如来の像を本尊とすることが多いのに対し、

浄土真宗では「南無阿弥陀仏」という文字(名号)を本尊とすることが多く、

像よりも言葉そのものを信仰の対象とします。

 

さらに、親鸞聖人は「悪人正機」という考えを説きました。

これは、「善人よりも悪人こそ救われる」という意味ではなく、

「自分の力で善を成すことができない弱い人間こそ、

阿弥陀仏の本願にすがることができる」という教えです。

 

自分の罪深さを知り、他力にすべてを任せる心こそ、真の信仰だと説いたのです。

 

この考え方は、当時の社会に大きな衝撃を与えました。

人々は「努力しなければ救われない」という常識の中で生きていたからです。

しかし親鸞聖人は、人間はもともと弱く、迷いの中で生きる存在であり、

そんな私たちを見捨てずに救ってくれるのが阿弥陀仏の慈悲であると語りました。

 

この教えは、

苦しみの多い時代を生きる人々の心に深く響き、多くの信徒を生み出しました。

 

こうして親鸞聖人の没後、

弟子たちによってその教えが体系化され、「浄土真宗」という名で広まっていったのです。

 

つまり、

親鸞聖人が新しい宗派を作ったのではなく、法然上人の教えをさらに深く理解し、

時代や人々の心に合わせて伝え直した結果、自然に別の宗派として形をとったのです。

 

法然上人が

「念仏を唱えることによって救われる」と説いたのに対し、

親鸞聖人は

「信じた瞬間に救われている」と説きました。

 

この違いが、浄土宗と浄土真宗の根本的な差と言えます。

どちらも阿弥陀仏の本願に基づいた救いの教えであり、

どちらも人々に安心と希望を与えた尊い宗派です。

 

法然上人は念仏の道を開き、

親鸞聖人はその道をより深く広く照らしたのです。

 

二人の教えは、今も多くの人々の心を支え、

時代を越えて「救いとは何か」「生きるとは何か」を問いかけ続けているのです。

高光産業株式会社 公式サイト

https://takamitsu.com/

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