
EXECUTIVE BLOG
2025.11.29
高光産業株式会社
妹尾八郎です。
昨日までは ペリュリュー島の戦いの話しでした。
今日もこの話の続きとなります、、。
ペリリュー島の戦いと聞くと、
多くの人は日本軍守備隊の壮絶な抵抗や米海兵隊の激しい攻撃を思い浮かべますが、
この小さな島には軍人とは違う、もうひとつの勇気の物語が存在します。
それは島に残ったパラオの女性たちの生き抜いた日々であり、
銃を持たず、制服もなく、敵でも味方でもない立場で、
それでも家族や地域を守るために必死に動いた“静かな英雄”たちの記録です。
戦争が迫り、多くの住民が日本軍の指示で安全な島へ避難していきましたが、
全員が移動できたわけではありませんでした。
高齢者の介護が必要な家庭や病人を抱えた家庭、
漁や家の事情でどうしても島を離れられない家族、
そして幼い子どもを抱えて移動が難しい女性たちが残り、
彼女たちは銃声が響く島の中で洞窟や岩陰に隠れながら、
家族を守るために「生きるための戦い」を続けました。
戦争の表舞台には現れない、その名も残らない人々の戦いが、
ペリリュー島のあちこちで確かに存在したのです。
当時のペリリュー島には日本統治下で教育を受け、日本語が話せる住民が多くいました。
特に女性の中には日本語が堪能な人も少なくなく、彼女たちは戦いが始まったあと、
日本軍との間で小さな橋渡しの役割を果たしました。
負傷して倒れた日本兵に水や食料を手渡したり、洞窟の位置や避難経路を伝えて助けたり、子どもの泣き声が敵に聞こえないように必死であやしたり、
危険な場所に迷い込んだ兵士に声をかけて誘導したりと、軍属としてではなく、
同じ島で暮らす人間として自然に手を差し伸べたのです。
島を守りたいという思いや、同じ人として助けたいという気持ちが、
極限状況の中で彼女たちを動かしました。
その中でも象徴的に語られる女性が、テルイマイと呼ばれる人物です。
彼女は戦争が激しくなる中で女性や子どもたちをまとめあげ、
洞窟へ避難させ、持ち寄った食料を分け合いながら生活を維持しました。
日本兵が洞窟にやってくると通訳を務め、状況を説明し、
避難者に不安が広がらないよう落ち着かせ、
アメリカ軍に発見されないよう静かに過ごすよう指示するなど、
まるで指揮官のように冷静沈着に行動したと伝えられています。
戦争という未曾有の危機の中で、指示を仰げる人もいない状況下で、
女性たちの中心となり、命を守り抜き、心の支えとなった彼女の存在は、
ペリリューの民間人にとって光のような存在でした。
戦後に残る証言の中には、女性たちが日本兵を助けた具体的な話が数多くあります。
「洞窟の外に血だらけの日本兵が倒れていて、怖かったけれど水を飲ませた」
「子どもが泣き出さないよう抱きしめて口をふさぎ、
敵にも味方にも見つからないようにした」
「砲撃の音が鳴り響く洞窟の暗闇で、
日本兵と子どもたちが同じ場所で肩を寄せ合って震えていた」など、
極限状態の中での人間同士の支え合いが語られています。
彼女たちにとって日本兵は外国の軍人であり、戦争をもたらした相手でもありましたが、
それでも助けたのは、長年島で共に暮らし、顔見知りの日本人への情があったこと、
そして目の前に苦しむ人を放っておけないという、人としての優しさがあったからです。
戦いが終わったとき、
島に残されていた女性と子どもたちはアメリカ軍によって救助され、
安全な場所に移されました。
彼女たちは戦場となった故郷の姿を目の当たりにし深い悲しみを抱えながらも、
その後の島の復興に力を尽くしていきます。
破壊された家を再建し、荒れ果てた土地に畑を作り、
水を運び、生活を取り戻していきました。
また日本兵の遺骨収集や慰霊活動にも現地の女性たちが協力し、
島に残されたかつての記憶を丁寧に受け継ぐ役割も担いました。
戦争を直接体験した彼女たちの語りは、
今もパラオの歴史にとって貴重な証言となっています。
戦争の語りではどうしても軍人の戦いや作戦が中心になりますが、
ペリリュー島には銃も持たず、制服も着ず、それでも家族を守り、仲間を励まし、
敵にも味方にも分け隔てなく手を差し伸べた女性たちがいました。
彼女たちの勇気は、華々しい英雄譚のように dramatic ではありませんが、
その静かで確かな強さは、戦場におけるもうひとつの英雄の姿といえます。
家族を必死に守り抜く勇気、島を守る強い責任感、
倒れている日本兵にそっと水を手渡す優しさ、恐怖の中でも冷静に判断する知恵、
そして絶望の中で希望を見出す強さ。
ペリリューの女性たちの物語は、戦争の悲惨さだけでなく、
人が本来持つ優しさと強さを教えてくれる大切な歴史です。
彼女たちの名は多くが記録に残っていませんが、確かに存在し、
確かに勇気を示した“もうひとつの物語”として、
これからも語り継がれるべきものだといえるでしょう。