
EXECUTIVE BLOG
2025.12.11
高光産業株式会社
妹尾八郎です。
昨日までは リメンバーパールハーバーからの話しでした。
今日は
なぜ被害者の物語は国を動かすのか??? について進みます、、。
アメリカの歴史に繰り返し現れる
「相手が先に攻撃した」「卑怯なだまし討ちに遭った」という物語は、
単に戦争を始めるきっかけとして使われただけではありません。
こうした物語が大きな力を持つのは、人々の心の深いところに働きかけ、
国家の意思をひとつにまとめる役割を果たすからです。
国家が戦争へ向かう時、政府が最も重視するのは「国民が一丸となること」です。
どれだけ軍事力があっても、国内が分裂していれば長い戦争を支えることはできません。
その点で“被害者としての物語”は、国民の感情を一方向に強く流しやすく、
とても強力な道具となります。
人間は「守らなければならないものが傷つけられた」と感じると、
理屈よりも先に心が反応します。
「怒り」「悲しみ」「悔しさ」といった感情は、しばしば冷静な判断を押しのけてしまいます。
アラモ砦でも、メイン号でも、トンキン湾でも、そして真珠湾でも、
国民の心にまず響いたのは“怒り”でした。
政治家や新聞はその感情を丁寧にすくい上げ、
「これは正義の戦いだ」と形づくっていきました。
また、戦争を続けるためには
「自分たちは間違っていない」という心の支えが必要になります。
被害者の物語は、人々にその“正当性”を与えてくれます。
「私たちは加害者ではなく、守るために戦っているのだ」と信じることで、
長く苦しい戦争にも耐えやすくなるのです。
さらにこうした構造は、アメリカだけに見られるものではありません。
世界中の歴史を振り返れば、多くの国が同じように
「被害者であること」を前面に出し、
戦争や武力行使を正当化してきました。
人間はどうしても、自分や自分の国を“悪者”として見たがらない傾向があります。
正義の側に立っているという感覚は大きな安心を生み、
同時に戦争への抵抗感を弱めてしまうのです。
現代でも、この構造はまったく消えていません。
情報が瞬時に広がる時代だからこそ、
国民感情を刺激するニュースや映像が強調されることがあります。
SNSでは断片的な映像が「一方的な被害」の象徴として流れ、
それが国際世論を動かすことも珍しくありません。
どの国でも「自国は守りの立場にある」と主張したがり、
その裏で複雑な背景や歴史的経緯が見えにくくなっていることがあります。
過去の出来事を振り返るとわかるように、戦争は突然始まるのではなく、
人々の心が徐々に“戦いを受け入れる方向”へと誘導されることで動き出します。
そしてその誘導に使われるのが
「だまし討ち」「先制攻撃」「侵略の兆候」といった“物語”なのです。
歴史を学ぶ意義のひとつは、このパターンに気づくことです。
同じ構造を見抜く力があれば、
感情を揺さぶるニュースや政治的なメッセージに流されすぎることなく、
より冷静に物事を判断できるようになります。
アラモ砦やメイン号、トンキン湾のように、
怒りの感情が国を一気に戦争へと押し出す例を知ることは、
現代の私たちが同じ過ちを繰り返さないための大切な手がかりになります。
アメリカの歴史に繰り返し現れた“被害者の物語”は、決して昔話ではありません。
現在の世界でも、国と国の関係は常に緊張と誤解の中にあり、
いつどこで同じ構造が再び顔を出すか分かりません。
だからこそ私たちは、歴史の中に見えるパターンを丁寧に読み解き、
一つひとつの出来事を冷静に考える姿勢を持ち続ける必要があります。
明日は 日本側の視点は???
に続きます、、、。