
EXECUTIVE BLOG
2025.12.16
高光産業株式会社
妹尾八郎です。
本日 12月16日に
私は伊勢神宮参拝をさせて頂きます。
今日はこの話に進みます、、、。
十二月十六日に伊勢神宮へ参拝させて頂くという機会は、
日本人として、またこの国の時間の流れの中に身を置く一人の人間として、
たいへん有難く、身の引き締まる思いが致します。
この日に伊勢神宮で行われるのが、
千年以上にわたりほとんど途切れることなく続いてきた「月次祭」であり、
平安時代の延暦二十三年、西暦八〇四年に制度化されて以来、
国家と人々の暮らしを静かに見守り続けてきた、伊勢神宮を代表する恒例祭の一つです。
月次祭は、派手な願掛けや特別な奇跡を求める祭りではありません。
むしろその本質は極めて静かで、日本的な精神性に満ちています。
天照大御神に対し、その時々の国の姿、人々の営み、
季節の巡りが滞りなく進んでいることを、
人間の側から感謝とともに「ご報告」するための祭典です。
一年のうちに夏と冬の二度行われ、六月十五日から十七日、十二月十五日から十七日という三日間の期間をもって執り行われますが、その中心となるのが十二月十六日です。
十二月という時期は、一年の実りがほぼ定まり、自然も人の暮らしも、
次の年へ向けて静かに整えに入る節目の季節です。
そのため冬の月次祭には、一年を大きな混乱なく過ごさせて頂いたことへの深い感謝と、
来る年も変わらぬ恵みと秩序が続くようにとの祈りが、自然と込められています。
よく十月に行われる神嘗祭と混同されることがありますが、
神嘗祭がその年に収穫された新穀を奉り、
「今年も稲が実りました」と直接的に報告する祭であるのに対し、
月次祭は、収穫後も含めた国全体の運行や、
人々の生活が今どのような状態にあるのかを定期的にお伝えする祭です。
言い換えれば、神嘗祭が成果の報告であるならば、月次祭は経過と現状の報告であり、
まるで日本という国が、半年ごとに静かな点呼を行い、
天地自然と歩調を合わせているかを確かめる時間のようにも感じられます。
こうした性格を持つ月次祭が千年以上も続いてきた理由は明確で、
この祭りが「何かを求める場」ではなく、
「すでに与えられているものに気づき、感謝し、整える場」
であったからに他なりません。
日本の神祭りの根底には、うまくいっている時ほど驕らず、
異変が起こる前にこそ心を低くして神に向き合うという思想があります。
月次祭はまさに、「調子が良いからこそ、神に報告し、感謝する」という、
日本独自の時間感覚と精神文化を体現した祭典なのです。
そのような尊い祭典に参拝し、
しかも、
清子様が祭主としてお務めになられる場に同席させて頂けるということは、
個人的な喜びを超えた、言葉に尽くしがたい光栄であり、
深い感謝の念を抱かずにはいられません。
千年以上の時を超えて連綿と続いてきた祈りの場に身を置き、
同じ空気を吸い、同じ静けさの中で手を合わせることができるという体験は、
日常の忙しさの中では忘れがちな「自分が今ここに生かされている」という事実を、
静かに思い出させてくれます。
月次祭は声高に何かを訴える祭りではありませんが、
その静けさの中には、国と人と自然が共に歩んできた長い歴史と、
これからも続いていくであろう未来への祈りが、確かに息づいています。
十二月十六日、伊勢神宮の御前で、
その流れの一部に加わらせて頂けることを心から有難く受け止め、
これまでの一年への感謝と、来る年への謙虚な願いを胸に、
静かに参拝させて頂きたいと思います。