
EXECUTIVE BLOG
2025.12.29
高光産業株式会社
妹尾八郎です。
今年も残り三日になりました。
大晦日と言えば 除夜の鐘ですよね
今日からは この話に進みます、、。
大晦日の夜、日本各地の寺で静かに、そして力強く鳴り響く除夜の鐘は、
多くの人にとって一年の終わりを実感させる音であり、心を整える合図でもあります。
この風習はいったいいつ頃から始まったのでしょうか。
また、日本に仏教が伝わり、最初に建てられた寺では、
すでに除夜の鐘は鳴らされていたのでしょうか。
こうした疑問をたどっていくと、除夜の鐘が単なる年中行事ではなく、
日本人の精神文化の中で長い時間をかけて形づくられてきたものであることが
見えてきます。
まず、除夜の鐘そのものの起源ですが、
インドや中国の仏教に直接「年越しの鐘」という形で存在していたものではありません。
仏教寺院における鐘、いわゆる梵鐘は、もともと時刻を知らせたり、
僧侶たちを集めたり、法要の開始を告げるための実用的な役割を担っていました。
インドでは鐘よりも太鼓や法螺が用いられることが多く、中国に仏教が伝わると、
寺院に大きな鐘楼が設けられ、朝夕に鐘を撞く習慣が生まれます。
この中国仏教の影響を強く受けたのが、日本の寺院文化でした。
日本に仏教が公式に伝来したのは六世紀半ば、欽明天皇の時代とされています。
百済から仏像や経典が伝えられ、やがて寺院が建立されるようになりました。
その中で、日本で最初期に建立された寺としてよく知られているのが奈良の飛鳥寺です。
飛鳥寺は、蘇我馬子によって建立された日本最初の本格的仏教寺院とされ、
仏教受容の象徴的存在です。
しかし、この時代の寺院に、
現在私たちがイメージするような大きな梵鐘が備えられていたかというと、
必ずしもそうではありません。
初期の日本仏教寺院では、鐘の使用は限定的で、
伽藍配置や仏具もまだ発展途上にありました。
したがって、飛鳥寺の時代に大晦日に百八つ鐘を撞いて年を越す、
というような風習が行われていた可能性は極めて低いと考えられています。
除夜の鐘の「百八」という数の意味が明確に語られるようになるのも、
時代が下ってからのことです。
百八とは、人間が持つとされる煩悩の数を象徴したもので、
鐘を一つ撞くごとに一つずつ煩悩を払い、
新しい年を清らかな心で迎えるという解釈が広く知られています。
ただし、この百八という数え方自体も、後世に整理され、
分かりやすく説明されるようになったもので、
古代から厳密に意識されていたわけではありません。
除夜の鐘が現在のような形で定着していくのは、平安時代から鎌倉時代にかけて、
寺院制度が整い、民衆と仏教の関わりが深まっていく過程の中でした。
特に鎌倉時代以降、禅宗の広まりとともに、
寺院での規律ある生活や時間管理が重視され、朝夕の鐘、
そして年の変わり目の鐘が象徴的な意味を持つようになります。
さらに室町時代になると、年中行事としての性格が強まり、
寺の鐘は僧侶だけでなく、
周囲の人々にも「年の終わりと始まり」を知らせる音として意識されるようになりました。
では、現存する日本最古級の寺院である奈良の法隆寺ではどうだったのでしょうか。
法隆寺には古い梵鐘が残されており、
日本における鐘の歴史を考える上で非常に重要な存在です。
ただし、法隆寺が創建された飛鳥時代から、
現在のような除夜の鐘が行われていたわけではありません。
法隆寺の鐘も、当初は時を告げ、僧侶の修行や法要の区切りを示すためのものであり、
年越しの宗教行事としての意味づけは、後世に付け加えられていったものです。
こうして見ていくと、
除夜の鐘は「仏教が伝わった瞬間に始まった古代の儀式」ではなく、
日本の社会や人々の暮らしの変化の中で、
少しずつ形を整えながら定着してきた風習であることが分かります。
農耕社会において年の区切りは重要であり、一年の労をねぎらい、
新しい年の無事を願う気持ちが、
寺の鐘という分かりやすい音の象徴と結びついた結果とも言えるでしょう。
除夜の鐘の音を聞くと、
多くの人が自然と静かな気持ちになり、過ぎた一年を振り返ります。
それは煩悩を理屈で数える以前に、
「一区切りをつけ、心を整える」という行為そのものが、
日本人の生活感覚に深く根付いているからです。
最初の寺である飛鳥寺でも、長い歴史を誇る法隆寺でも、
最初から今と同じ除夜の鐘が鳴っていたわけではありません。
しかし、仏教とともに伝わった鐘が、日本の風土と人々の心に寄り添いながら、
やがて大晦日の夜の象徴的な音へと育っていった。
その積み重ねの結果が、今私たちが耳にする除夜の鐘なのです。
年の瀬に鐘の音を聞きながら静かに手を合わせるその時間は、
千年以上にわたる日本の歴史と、
人々の祈りの積層の上に成り立っているものだと言えるでしょう。