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2026.1.8
高光産業株式会社
妹尾八郎です。
昨日は 七草がゆでした、、
七草がゆとは、
毎年一月七日に食べる日本の伝統的な行事食で、
白がゆに春の七草を刻んで加えた、きわめて素朴でやさしい味わいの料理です。
春の七草とは、
せり、なずな、はこべら、ほとけのざ、すずな、すずしろ、そしてごぎょうの七種を指し、これらを用いた七草がゆには
「一年の無病息災を願う」「正月の御馳走で疲れた胃腸を休める」
「冬の間に不足しがちな青菜の栄養を補う」といった意味が込められています。
七草がゆの風習は、日本固有のものと思われがちですが、
その起源をたどると古代中国の行事に行き着きます。
中国では古くから一月七日を「人日(じんじつ)」と呼び、
その年の人々の健康と長寿を占い、
七種の若菜を入れた羹(あつもの)を食べる習慣がありました。
この人日という考え方は、
鶏・犬・猪・羊・牛・馬・人という順で年始の日々に意味を持たせ、
七日目を人の日とする思想に基づいており、
この日に人を罰したり処刑したりすることを慎み、
代わりに健康を祈る食事をとるという、非常に人命を尊ぶ思想が背景にあります。
この中国の人日行事が日本に伝わったのは奈良時代から平安時代初期とされ、
当初は宮中を中心とした貴族社会の年中行事として受け入れられました。
平安時代の宮中では、正月七日に「若菜摘み」が行われ、
雪の残る野に出て芽吹き始めた若菜を摘み、これを神前に供え、
また食することで新年の生命力を身体に取り入れると考えられていました。
当時の若菜は必ずしも現在の春の七草と同一ではありませんでしたが、
「若い生命を食すことで長寿を願う」という思想はすでに確立しており、
七草がゆの原型を見ることができます。
その後、時代が下るにつれて中国由来の人日思想と、
日本古来の若菜摘みの風習が融合し、さらに仏教的な殺生忌避の考え方も加わって、
肉や魚を用いず、穀物と野草を中心とした粥を食べる形へと整理されていきました。
特に江戸時代に入ると、五節句という年中行事が幕府によって制度化され、
一月七日の人日もその一つとして定着します。
この頃になると春の七草の種類がほぼ現在の形に固定され、
七草がゆは武家から町人、農村に至るまで広く庶民の生活に根付いていきました。
江戸の町では、正月六日の夜や七日の朝に七草がゆを食べる習慣が広まり、
前日に七草をまな板の上で刻みながら
「七草なずな、唐土の鳥が、日本の土地へ渡らぬ先に」
と唱える七草囃子も生まれました。
これは中国の鳥、
すなわち疫病や災厄が日本に渡って来ないようにとの願いを込めたもので、
単なる料理ではなく、
言葉と所作を伴う年中行事として七草がゆが位置づけられていたことを示しています。
また、栄養面から見ても七草がゆは理にかなった食事で、
せりには食欲増進や解熱作用があるとされ、
すずなやすずしろはいずれも大根や蕪で消化を助け、
ほとけのざやなずなには利尿作用があるなど、現代の栄養学や民間薬の観点からも、
正月明けの体調調整に適した食材が揃っています。
つまり七草がゆは、信仰や願いだけでなく、
経験的な生活の知恵としても完成度の高い行事食であったと言えるでしょう。
明治以降、生活様式の変化や都市化によって野草を摘む習慣は次第に薄れましたが、
現在でも一月七日に七草がゆを食べる風習は家庭や地域で受け継がれ、
スーパーなどでは正月明けに七草セットが並ぶ光景が当たり前となっています。
現代においては宗教的・呪術的な意味合いが前面に出ることは少なくなりましたが、
「一年の始まりに自分の体をいたわる」
「食を通じて季節の移ろいを感じる」
「古くから続く習慣に心を寄せる」
といった点で、七草がゆは今なお大切な意味を持っています。
豪華さや派手さとは無縁の一杯の粥に、健康への願い、自然への感謝、
そして先人たちの暮らしの知恵が静かに込められていることを思いながら味わうとき、
七草がゆは単なる伝統料理ではなく、
日本人の生活文化そのものを
今に伝える存在であることが実感されるのではないでしょうか。