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社長&顧問ブログ

2026.1.27

日系人の闘い

高光産業株式会社

妹尾八郎です。

 

戦後の日系人社会を内側から支え、

同時にアメリカ社会全体へと問いを投げかけ続けた二人がいます。

 

ユリ・コチヤマとミノル・ヤスイです。

 

二人に共通しているのは、英雄的な武勲や派手な成功ではなく、

差別と制度の現実から目を背けず、

「それでも声を上げる」という覚悟を人生そのものとして引き受けた点でした。

 

ユリ・コチヤマは、最初から活動家だったわけではありません。

戦前は自分を「普通のアメリカ人」だと信じ、

日本とのつながりを強く意識することもなく生きていました。

 

しかし真珠湾攻撃後、父が日本人であるという理由だけでFBIに連行され、

十分な医療も受けられないまま収容中に亡くなったことで、彼女の世界は一変します。

 

何の罪もない父が命を落とし、自分たち家族が強制収容所に送られた現実は、

「忠誠心」や「愛国心」という言葉の空虚さを突きつけました。

 

けれど彼女は、その痛みを自分たちだけの不幸として閉じ込めませんでした。

 

戦後ニューヨークのハーレムで暮らす中で、黒人社会の日常的な差別と向き合い、

「差別は対象が違うだけで、同じ仕組みで人を押さえつけるものだ」と気づきます。

 

そこから彼女は、日系人の強制収容の経験を、

黒人の公民権運動や他の少数者の闘いと結びつけ、連帯の中で語るようになります。

 

マルコムX暗殺の場に居合わせ、瀕死の彼を膝に抱いたという出来事は象徴的で、

彼女が民族の枠を超えて「抑圧される側に立ち続ける」覚悟を貫いた証でした。

 

彼女の活動は法律を動かすことよりも、記憶をつなぐことにありました。

語り、集い、若者に伝え、

「忘れないこと」「二度と同じことを繰り返させないこと」こそが

本当の正義だと訴え続けたのです。

 

一方、ミノル・ヤスイは法の内側から国家に向き合った人物でした。

アメリカ生まれの二世として法を学び、

弁護士となった彼は、戦時中に出された日系人への夜間外出禁止令を、

感情ではなく憲法の問題として捉えました。

 

そして彼は、あえてその命令に違反し、自ら警察署に出向いて逮捕を求めます。

それは衝動的な抗議ではなく、

裁判によって制度の矛盾を白日の下にさらすための、冷静で孤独な決断でした。

 

彼は独房に長期間拘束され、最高裁でも一度は敗れますが、

沈黙することはありませんでした。

 

戦後、日系人社会の中に「もう過去を蒸し返すな」という空気が広がる中でも、

彼は問い続けます。

 

1980年代、政府が戦時中の裁判で虚偽の説明をしていた事実が明らかになると、

すでに高齢でありながら再審を求め、

「これは自分の名誉ではなく、憲法そのものの問題だ」と語りました。

 

その結果、有罪判決は無効とされ、

強制収容が誤りだったことが司法の場で正式に認められます。

 

ユリ・コチヤマとミノル・ヤスイは、

怒りをぶつけることで社会を動かしたのではありません。

 

ユリは差別を分断ではなく連帯へと変え、

ヤスイは差別を感情ではなく法の矛盾として可視化しました。

 

二人の歩みは静かで、時間もかかりましたが、

その積み重ねがあったからこそ、

戦後の日系人社会は憎しみではなく

信頼と制度の中で尊厳を取り戻すことができました。

 

その姿は、差別と向き合うとはどういうことかを、

今もなお私たちに問い続けています。

 

高光産業株式会社 公式サイト

https://takamitsu.com/

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