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社長&顧問ブログ

2026.2.13

消された伝統

高光産業株式会社

妹尾八郎です。

 

昨日までは 教育勅語の話しから 紀元節の話しでした、、。

 

この文化が 何故戦後消されたのか??? の話に進みます、、。

 

戦後、日本の社会が大きく姿を変える中で、

かつて大切にされてきた教育勅語や紀元節が、公の場から姿を消していきました。

 

教育勅語は

明治二十三年に発布され、家族を大切にすること、親に孝行すること、

夫婦が和すること、友を信じること、学問に励むこと、公共に尽くすことなど、

人としての基本的な徳目を簡潔に示した国家文書でした。

 

紀元節は、

神武天皇の即位の日をもとにした祝日で、日本という国の始まりに思いを致し、

国の歴史と一体感を感じる日でした。

 

どちらも本来は、

日本人の心を整え、共同体の絆を確かめる役割を果たしていた文化的要素でした。

 

それがなぜ、戦後になると「危険思想」とまで言われ、

否定の対象となっていったのでしょうか。

そこには、単純な善悪では語れない、時代背景と国際政治の現実がありました。

 

まず大きな転換点となったのが、昭和二十年の敗戦です。

 

日本は連合国の占領下に入り、

連合国軍総司令部、いわゆるGHQの統治を受けることになりました。

占領政策の中心にいたのは連合国軍総司令部(GHQ/SCAP)であり、

最高司令官はダグラス・マッカーサーでした。

 

GHQの基本方針は、

日本が再び軍事国家として立ち上がることを防ぐことにありました。

そのために進められたのが「非軍事化」と「民主化」です。

 

戦前の国家体制を支えていた制度や思想は、

軍国主義と結びついていたと判断され、

その影響を取り除くことが急務とされました。

 

教育勅語は、その内容そのものよりも、

戦前の教育現場での扱われ方が問題視されました。

 

学校では奉読や暗唱が行われ、御真影とともに厳粛に扱われていました。

国家と天皇への忠誠が強調される教育の象徴と見なされ、

戦時体制を精神面で支えたと評価されたのです。

 

GHQは、日本の教育を

「国家中心」から「個人の尊厳と民主主義中心」へと転換させようとしました。

その流れの中で、教育勅語は過去の国家主義の象徴と位置づけられ、

昭和二十三年には国会で排除・失効が確認されました。

 

内容の中にある親孝行や誠実さといった

普遍的価値までが否定されたわけではありませんが、

国家統合の精神的支柱と見なされた点が問題とされたのです。

 

紀元節もまた、国家神道と結びついた祝日と見なされました。

神武天皇の即位を建国の起点とする考え方は、日本の神話的歴史観に基づいています。

 

戦前は、国民統合の象徴として盛大に祝われました。

しかし占領期には、国家と神話を強く結びつける思想は、

国家主義を再燃させる可能性があると警戒されました。

そのため紀元節は廃止され、

建国に関する祝日は一旦消えることになります。

 

その後、昭和四十一年に名称を「建国記念の日」と改めて復活しましたが、

神話的色彩を薄め、

「建国をしのび、国を愛する心を養う日」として位置づけ直されています。

 

ここで考えるべきは、連合国側の思惑です。

第二次世界大戦は未曽有の犠牲を伴う戦争でした。

 

連合国にとって、日本が再び軍事的脅威となることは避けなければなりませんでした。

占領政策は理想論だけでなく、安全保障上の現実的判断でもありました。

 

日本の精神的支柱となっていた制度や象徴を弱めることで、

再軍備への道を閉ざそうとした側面は否定できません。

 

さらに冷戦の始まりという国際環境の中で、

日本を民主主義陣営の一員として再編する必要もありました。

そのため、教育や祝日の再構築は、政治的意味を帯びることになったのです。

 

しかし同時に、日本側にも反省がありました。

戦争に突き進んだ過程で、異論を許さない空気が社会に広がり、

国家への忠誠が絶対化された面があったことは事実です。

 

教育勅語そのものよりも、それが絶対視され、

多様な価値観を抑え込む道具として機能したことへの反省が、

戦後の知識人や政治家の間で共有されました。

 

つまり、外からの圧力だけでなく、内側からの見直しもあったのです。

 

では、教育勅語や紀元節は本当に「危険思想」だったのでしょうか。

 

親を大切にすること、夫婦が和すること、友を信じること、

困難にあっても義を守ること、国を思うこと。

これらは普遍的な道徳であり、どの国にも存在します。

 

問題は、それがどのように運用されるかでした。

戦前は国家と不可分の形で扱われたため、政治体制とともに否定の対象となりました。

しかし、徳目そのものが否定されたわけではありません。

 

戦後日本は、新しい憲法のもとで個人の尊厳を基本に据えました。

 

その一方で、家族や地域のつながりが希薄になったという声もあります。

高度経済成長を経て豊かになった社会の中で、

人と人との結びつきや道徳教育の在り方が再び問い直されています。

 

教育勅語や紀元節の歴史を振り返ることは、単に過去を懐かしむためではなく、

日本人が何を大切にしてきたのかを見つめ直す機会になります。

 

大切なのは、過去をそのまま復活させるか否かという二択ではなく、

歴史を冷静に理解し、良い部分と反省すべき部分を分けて考える姿勢です。

 

占領政策という外的要因、戦争への反省という内的要因、

その両方が重なって教育勅語と紀元節は公的な位置を失いました。

 

しかし、その中に込められていた

「人としての道」や「国の始まりを大切に思う心」までが消え去ったわけではありません。

 

むしろ今こそ、感情的な賛否を超えて、日本の近代史を俯瞰し、

何が時代の要請であり、何が普遍的価値であるのかを見極めることが求められています。

 

美しい文化や教えは、形を変えながら受け継がれていきます。

 

教育勅語や紀元節が歩んだ歴史もまた、日本が近代国家として揺れ動いた証しであり、

その光と影の両方を知ることで、

より成熟した社会へと進むことができるのではないでしょうか。

高光産業株式会社 公式サイト

https://takamitsu.com/

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