
EXECUTIVE BLOG
2026.3.13
高光産業株式会社
妹尾八郎です。
昨日までは
ペルシャでは 昔は イスラム教ではなくゾロアスター教を信奉してた話でした。
人類の宗教の歴史を見ていくと、とても興味深いことに気づきます。
それは、世界の大きな宗教の神は、
実はまったく別の神というよりも、
同じ神を違う形で表現しているのではないかという考え方です。
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、
そして古代ペルシャのゾロアスター教を並べてみると、
その共通点の多さに驚かされます。
宗教は違っても、
実は人類は同じ神を見てきたのではないかという視点が見えてくるのです。
まずユダヤ教、キリスト教、イスラム教の三つの宗教は、
学問的にも「アブラハムの宗教」と呼ばれています。
これは三つの宗教が共通の祖先的存在としてアブラハムを持ち、
同じ唯一神を信じているからです。
ユダヤ教では神をヤハウェと呼びます。
キリスト教では同じ神を神(ゴッド)と呼び、イエス・キリストを神の子として理解します。そしてイスラム教ではその唯一神をアッラーと呼びます。
ここで大事なことは、アッラーという言葉は特別な神の名前ではなく、
アラビア語で「神」という意味の言葉だということです。
実際にアラビア語を話すキリスト教徒も神のことをアッラーと呼びます。
つまりユダヤ教の神、キリスト教の神、イスラム教の神は、
教えの内容は違っていても、
基本的には同じ唯一神を指していると考えられています。
ではそこにゾロアスター教を加えるとどうなるでしょうか。
ゾロアスター教は古代ペルシャで生まれた宗教で、
紀元前1000年頃にはすでに存在していたと考えられています。
ユダヤ教が現在の形に整うよりも古い宗教です。
ゾロアスター教では宇宙の最高神としてアフラ・マズダーという神を信じます。
この神は光と善の神で、人間に正しい生き方を求める存在です。
そして世界には善と悪の戦いがあると考えます。
この思想をよく見ていくと、
後に生まれたユダヤ教、キリスト教、イスラム教の思想と
非常によく似ていることが分かります。
たとえばゾロアスター教には、
善と悪の戦いという考え方があります。
さらに天使のような存在や、悪魔のような存在も登場します。
そして死後の世界として天国と地獄の考え方があります。
さらに最後には世界が裁かれるという最後の審判の思想もあります。
そして世界を救う救世主が現れるという考え方まで存在しています。
これらの思想は、
後のユダヤ教、キリスト教、イスラム教にほとんどそのままの形で現れてきます。
宗教史の研究では、紀元前6世紀に大きな出来事が起きています。
ペルシャ帝国が中東一帯を支配し、
その時代にユダヤ人はペルシャ帝国の影響を強く受けました。
実際にユダヤ人はペルシャ王キュロスによってバビロン捕囚から解放されています。
この時代にゾロアスター教の思想が
ユダヤ教に大きな影響を与えた可能性が高いと考えられています。
旧約聖書の後期の部分には、
それ以前にはあまり見られなかった天使や悪魔、
最後の審判といった思想が登場するようになります
。つまりゾロアスター教の宗教思想が、
後の一神教の形に影響を与えた可能性が高いのです。
こうして宗教の流れを大きく見ていくと、
人類の宗教はまったく別々に生まれたというよりも、
同じ地域の文明の中で互いに影響しながら発展してきたことが見えてきます。
古代オリエントの文明の中で、
人々は宇宙を支配する唯一の神の存在を感じ、
その理解の仕方が少しずつ違う形で宗教として発展していったとも考えられるのです。
この視点から見ると、
ユダヤ教の神、キリスト教の神、イスラム教の神、
そしてゾロアスター教のアフラ・マズダーは、
名前や教義は違っていても、
人類が感じてきた同じ唯一の神を別の言葉で表現している可能性があるとも言えます。
つまり宗教が違うから神も別だというより、
人間の文化や歴史の違いによって
神の呼び方や理解の仕方が変わっていっただけなのかもしれません。
さらに興味深いことに、現在のイランはイスラム教の国ですが、
イラン人自身は自分たちの文化の源流を古代ペルシャ文明に強く感じています。
ペルシャの新年であるノウルーズという祭りは、
実はゾロアスター教の太陽暦から来ている古代の行事です。
つまり宗教はイスラム教に変わりましたが、
文化の深い部分には今もゾロアスター教時代の精神が生き続けているのです。
こうして宗教の歴史を広い視点で見ていくと、
人類はそれぞれ違う宗教を持ちながらも、実は同じ宇宙の神を感じ取り、
それをそれぞれの文化の言葉で語ってきたのではないかという考え方が見えてきます。
神の名前は違っても、人類が見上げてきた存在は一つなのかもしれません。
宗教の違いを争いの原因として見るのではなく、
同じ神をそれぞれの道で求めてきた歴史として見てみると、
世界の宗教の姿がまったく違ったものとして見えてくるのではないでしょうか。