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2026.4.3

不義理の日

高光産業株式会社

妹尾八郎です。

 

昨日は 四月一日は日本では

不義理の日と 言われていた話でした、、、。

 

本日は この不義理の日についての話に進みます、、。

 

不義理の日という言葉は、

現代の私たちには少し耳慣れないものですが、

そこには日本人らしい人間関係の感覚がよく表れています。

 

そもそも「不義理」とは、

世話になった相手に礼を尽くさないこと、長らく無沙汰をしてしまうこと、

借りや恩を返さないこと、あるいは顔を出すべき相手に顔を出さず、

筋を欠くことを指す言葉でした。

 

昔の日本社会は、

いま以上に人と人とのつながり、つまり親類縁者、近所づきあい、

商売上の関係、主従関係、師弟関係などの網の目の上に成り立っていましたから、

「義理を欠く」ということは単なる失礼では済まされず、

人としての信用にも関わる重い問題でした。

 

現代でも「敷居が高い」という言葉がありますが、

本来これは店が高級すぎて入りにくいという意味ではなく、

相手に不義理をしてしまい、その家やその人のところへ行きにくい、

という意味です。

 

つまり不義理とは、

心の中に引っかかりを生み、人間関係に影を落とすものだったのです。

 

実際、国語辞典でも「敷居が高い」は本来、

不義理や面目のなさのために相手の家へ行きにくいことを意味するとされていますし、

「上口が高い」という似た表現にも、

不義理などのため訪ねにくいという意味が見られます。

 

こうした言葉が日常語として生きていたこと自体、

不義理という感覚が昔の社会でいかに重かったかを物語っています。

 

では、不義理の日とはどのような日だったのでしょうか。

 

一般には四月一日を指し、

この日は、日頃義理を欠いている相手に対して無沙汰や不調法を詫びたり、

あるいはふだん果たせていない義理をこの日だけは免じてもらう、

という趣旨の日であったと説明されます。

 

いまで言えば、

年賀状や暑中見舞い、あるいは久しく会っていない相手への

「ご無沙汰しております」の挨拶が、

一つの日に集約されたような性格があったとも言えるでしょう。

 

つまり、不義理の日は

「何をしてもよい日」ではなく、むしろ人との関係を見直し、詫び、緩め、

やり直すための日だったのです。

ここが、ただの悪ふざけの日として理解されがちな

現代のエイプリルフールとは大きく違うところです。

 

江戸時代の町人社会では、

贈答、挨拶、訪問、つけ届け、盆暮れの礼、季節ごとの気遣いなど、

目に見えない義理のやりとりが社会を支えていました。

 

しかし、人は忙しさや生活苦の中で、どうしても行き届かないことがあります。

そんな時、四月一日を一つの節目として、

「これまでの不義理をお許しください」

と気持ちを整える日が意識されたのではないかと考えられます。

 

これは新年度の始まりに重なる四月一日という日取りとも、どこか合っています。

 

春は人事異動、転居、進学、就職など、関係が切れたり結び直されたりする季節です。

だからこそ、義理を見直す日として四月一日が意味を持ったのでしょう。

 

その由来については、これもまた一つに定まっているわけではありません。

エイプリルフールそのものの起源がヨーロッパでも定説を欠いているのと同じく、

日本の不義理の日も、厳密な始まりを特定することは簡単ではありません。

 

ただ、事典類では、中国で四月一日を

「衆愚節」または「万愚節」と呼んでいたものが江戸時代に日本へ伝わり、

その際に日本では「不義理の日」というかたちで受け止められた、

とする説明が見られます。

 

そして大正時代になると、「エイプリル・フール」という英語表現そのものが広まり、

軽いうそや人をかつぐ風習として定着していったとされます。

 

ここが実におもしろいところで、

日本では西洋の「人をかつぐ日」がそのまま入ったというより、

いったん「義理を欠いたことを意識する日」「関係をゆるめ直す日」という、

より日本的な意味づけを伴って受け入れられ、

その後に近代化とともに西洋風の冗談文化へ寄っていった、

と見ることができます。

 

つまり不義理の日は、

外から来た風習を日本社会がそのまま写したものではなく、

日本人の生活感覚の中で翻訳し直した姿だったのです。

 

ここで見えてくるのは、

昔の日本人にとって最も大事だったのが、人を笑わせることよりも、

人との関係を壊さないことだったという事実です。

 

現代ではエイプリルフールというと、

面白い嘘、企業の冗談広告、SNSのネタなどが先に思い浮かびますが、

不義理の日という古い呼び名の中には、

もっと慎み深く、もっと対人関係に心を配る社会の空気が残っています。

 

相手に失礼があった、訪ねるべきなのに行けなかった、

世話になったのに礼が尽くせなかった、

そうした小さな負い目をそのままにせず、一度ちゃんと心に上らせる。

 

そのための日が不義理の日だったのだとすれば、

これは単なる古風な習慣ではなく、

人間関係を長持ちさせるための知恵だったとも言えます。

 

しかも、その知恵は今も十分通用します。

 

忙しさにかまけて連絡を絶ってしまった人、世話になりながら礼を言えていない人、

気まずさから会いづらくなった人に対して、

「不義理の日」という発想を思い出すだけでも、

関係を立て直すきっかけになるからです。

 

四月一日を嘘の日としてだけ見るのではなく、

義理を見直し、無沙汰を詫び、人との縁を結び直す日として見ると、

この日はぐっと日本的で、味わい深いものに見えてきます。

 

不義理の日とは、

笑いよりも先に礼を大切にした、昔の日本人の心の習慣が残した、

静かな文化の名残だったのです。

高光産業株式会社 公式サイト

https://takamitsu.com/

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