
EXECUTIVE BLOG
2026.5.20
高光産業株式会社
妹尾八郎です。
昔、日本酒売り場には「特級」「一級」「二級」という表示が並んでいました。
今の若い世代には馴染みがないかもしれませんが、
昭和の時代にはこれが当たり前だったのです。
特級酒は高級酒、一級酒はその次、二級酒は大衆酒というイメージがありました。
会社の接待では特級酒が出され、お祝い事には一級酒、
普段飲みは二級酒というような時代もあったのです。
この制度は1943年、戦時中に始まりました。
当時は戦争による米不足が深刻で、酒造りにも大きな制限がかかっていました。
そのため国は、日本酒の品質を一定基準で管理し、
税金を取りやすくする必要があったのです。
そこで導入されたのが「級別制度」でした。
まず酒蔵が国税局の審査を受けます。
香り、味、色などを審査され、
合格すると特級や一級として販売できました。
しかし、ここで重要なのは、
「美味しいかどうか」と「級」は必ずしも一致しなかったということです。
なぜなら、
この制度はあくまで税金徴収のための側面が強かったからです。
特級酒になると税率が高くなります。
そのため、あえて二級酒として販売する蔵もありました。
「うちは高品質だけど、庶民に安く飲んでもらいたい」
という考えの蔵も存在したのです。
そのため、
日本酒好きの間では「安くて美味い二級酒を探す楽しみ」もありました。
また、当時は現在ほど精米技術が発達していませんでした。
さらに大量生産が求められたため、アルコール添加酒も多く作られました。
アルコール添加そのものは悪ではありません。
本醸造酒などにも今でも使われています。
しかし、戦後の混乱期には、
量を増やすために糖類や酸味料を加える「三増酒」も広がりました。
これは少ない米で大量の酒を作るための工夫だったのです。
昭和の居酒屋文化を支えたのは、こうした二級酒でした。赤提灯の店で熱燗を飲みながら焼き鳥を食べる。そんな昭和の風景には、二級酒がありました。当時の日本酒は「気軽に酔うためのお酒」という側面も強かったのです。
しかし、時代が進むにつれて、「級」だけでは本当の品質が分からないという問題が出てきます。さらに全国の酒蔵が個性を競うようになり、「うちの酒は米にこだわっている」「香りに特徴がある」といった新しい価値観が生まれ始めました。
そして1992年、
ついに級別制度は廃止されます。特級酒も一級酒も二級酒も消えました。
代わりに登場したのが、「吟醸」「純米」「大吟醸」といった現在の分類です。
つまり、日本酒は“国が決めるランク”の時代から、
“酒蔵の個性を楽しむ時代”へ変わったのです。
この変化は、日本酒にとって非常に大きな転換点でした。
ワインのように「地域」「米」「作り手」「香り」を楽しむ文化へ移行していったのです。
そして現在では、その多様性こそが日本酒の魅力になっています。
昔の特級酒文化を知ると、日本酒が単なる嗜好品ではなく、
日本経済や時代背景とも深く結び付いていたことが見えてきます。
そして、現代の日本酒ブームは、
その古い制度を乗り越えた先に生まれた新しい文化なのです。