
EXECUTIVE BLOG
2026.6.18
高光産業株式会社
妹尾八郎です
昨日は 早朝の京都で聞こえてきた
東本願寺の鐘の音の話しでした、
今日はこの話の続きとなります、、、
京都の東本願寺で鐘の音を聞いたあの日から、
私は仏教の歴史に興味を持つようになりました。
お寺の鐘はなぜあるのか。 いつからあるのか。 誰が考えたのか。
その答えを探していくと、
やがて仏教そのものの始まりに行き着きます。
仏教が生まれたのは今からおよそ二千五百年前のインドです。
現在の私たちから見ると
二千五百年前というのは想像もできないほど昔の話です。
日本で考えると縄文時代の終わり頃です。
まだ文字も十分に普及しておらず、
日本には国家と呼べるような形もありませんでした。
その頃、遠く離れたインドでは大きな都市が生まれ、多くの人々が集まり、
様々な思想や宗教が生まれていました。
当時のインドには身分制度がありました。
後にカースト制度と呼ばれる社会の原型です。
生まれながらにして職業や立場が決まり、
自由に生き方を選ぶことが難しい社会でした。
そのような時代に、一人の王子が誕生します。
後にお釈迦様と呼ばれる人物です。
本名はシッダールタ・ゴータマ。
現在のネパール南部に近い地域にあった小国の王子として生まれました。
王子ですから何不自由ない生活でした。
豪華な宮殿があり、美しい庭園があり、食べ物にも困りません。
将来は国王になることも約束されていました。
誰もが羨むような人生だったのです。
ところが父親である王は一つだけ心配していました。
占い師が
「この子は将来偉大な王になるか、それとも出家して宗教家になる」
と予言したのです。
王としては当然、国を継いでほしい。
そこで王は息子を宮殿の中だけで育てることにしました。
苦しみや悲しみを見せなければ出家しないだろうと考えたのです。
病人も見せない。 老人も見せない。 死者も見せない。 楽しいことだけを与える。
今で言えば最高級ホテルの中だけで一生を過ごすような環境です。
しかし人間の好奇心は止められません。
ある日、シッダールタは城の外へ出ます。
そこで初めて老人を見ました。
白髪になり、腰が曲がり、杖をついて歩く姿です。
「人は皆あのようになるのか」 彼は驚きました。
さらに病人を見ました。
苦しそうに横たわる姿を見て、人間は病気になることを知ります。
そして死者を見ました。 人は必ず死ぬという現実を知ったのです。
私たちにとっては当たり前のことです。
しかし宮殿の中だけで育った王子にとって、
それは人生を揺るがすほどの衝撃でした。
どれほどお金があっても。
どれほど権力があっても。
どれほど美しいものに囲まれていても。
人は老い、病み、そして死ぬ。
では
人は何のために生きるのか。
本当の幸せとは何なのか。
この疑問がシッダールタの心を離れなくなりました。
二十九歳のある夜。
彼は妻と幼い子供を残し、王宮を去ります。
王子の地位も財産も捨てて旅に出たのです。
もし現代なら新聞やテレビが大騒ぎするでしょう。
大企業の後継者が全てを捨てて突然放浪の旅に出るようなものです。
しかしシッダールタは真剣でした。 人生の答えを探したかったのです。
それから六年間。 彼は様々な修行を行いました。
断食もしました。 瞑想もしました。 有名な修行者のもとで学びました。
ところがどれだけ修行しても
心から納得できる答えは見つかりませんでした。
むしろ極端な修行によって体は衰弱していきました。
骨と皮だけになるほど痩せてしまったとも伝えられています。
そしてある日、彼は気付きます。
極端な贅沢も違う。 極端な苦行も違う。 大切なのはその中間ではないか。
後に「中道」と呼ばれる考え方です。
彼は菩提樹の下に座り、静かに瞑想を始めました。
そして三十五歳の時、ついに悟りを開いたとされています。
これがお釈迦様の誕生です。
ここで興味深いのは、お釈迦様は神になったわけではないということです。
人間として生まれ、人間として悩み、人間として答えを見つけた人物なのです。
だからこそ二千五百年経った今でも
世界中の人々がその教えに耳を傾けるのかもしれません。
お釈迦様の教えは難しいものではありません。
人は執着するから苦しむ。 怒りや欲望に振り回されるから苦しくなる。
だから物事を正しく見つめ、自分の心を整えることが大切だ。
非常に簡単に言えばそのような教えです。
その後、
お釈迦様は八十歳で亡くなるまで人々に教えを説き続けました。
そして弟子たちによってその教えが受け継がれ、
やがてインド全土へ広がっていきます。
しかし不思議なことがあります。
仏教はインドで生まれたにもかかわらず、
現在のインドでは仏教徒は少数派です。
発祥の地でありながら、なぜ仏教は衰退してしまったのでしょうか。
そしてなぜ日本では今なお多くの人々に親しまれているのでしょうか。
その謎を解くことが、仏教の歴史を知る上で欠かせません。
この話は
明日へ続く、、、、。