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社長&顧問ブログ

2026.8.19

日本人の心

高光産業株式会社

妹尾八郎です

 

長く続けてた「神社シリーズ」も、

いよいよ今日が最終話となります、、、。

 

振り返れば、第一話は、

「神社とお寺は、何が違うのでしょうか?」

という素朴な疑問から始まりました。

 

鳥居は、なぜあるのか。

狛犬は、なぜ阿吽の姿なのか。

なぜ手水舎で手と口を清めるのか。

なぜ参道の真ん中を避けて歩くのか。

なぜ二礼二拍手一礼をするのか。

注連縄、神楽殿、御神木、神馬、絵馬、神棚、お守り、おみくじ、御朱印……。

そして、

神職の方々、お祭り、神輿、祈り、感謝、神仏習合へと話を進めてまいりました。

 

番外編では、

神楽坂や巨大な御神木、左馬、白馬、伊勢神宮の祭主、

神輿の「わっしょい」などについての話しでした。

 

一つ一つを調べていくと、そこには必ず「意味」がありました。

 

しかし、

今、私は思います。

私たちが本当に学んできたのは、

神社についての知識だけではなかったのではないでしょうか。

 

鳥居をくぐる時には、

「ここから先は心を整えよう。」

と教えられました。

 

手水では、

「汚れを落とすだけではなく、心も清らかにしよう。」

と教えられました。

 

参道では、

「自分が真ん中を歩くのではなく、一歩譲る心を持とう。」

と教えられました。

 

御神木からは、

「急がなくてもいい。長い年月をかけて根を張りなさい。」

と教えられました。

 

神馬や絵馬からは、

「願うだけではなく、その願いに向かって自分も歩きなさい。」

と教えられました。

 

おみくじからは、

「吉凶に一喜一憂するのではなく、書かれた言葉から自分の生き方を見つめなさい。」

と教えられました。

 

神輿からは、

「人生には一人では担げない重さがある。だから人は支え合うのだ。」

と教えられました。

 

そして神社で手を合わせることから、

「お願いする前に、まず『ありがとうございます』と言える人になろう。」

ということを学びました。

 

こうして振り返ってみると、神社にあるものは、

すべて私たちの心へ向かっているように思えてきます。

 

神社とは、

いったい何をする場所なのでしょうか。

 

お願いごとをする場所でしょうか。

もちろん、それも一つでしょう。

 

観光する場所でしょうか。

歴史を学ぶ場所でしょうか。

それも間違いではありません。

 

しかし、もっと根本にあるもの。

 

それは、

「自分の心を整える場所」

なのではないでしょうか。

 

私たちは毎日、忙しく生きています。

仕事があります。人間関係があります。

うまくいく日もあれば、思うようにならない日もあります。

 

時には腹が立ちます。

人を羨ましく思います。

自分ばかり損をしているように感じることもあります。

 

そんな私たちが鳥居の前で一度立ち止まり、一礼する。

手を清める。静かな参道を歩く。

そして手を合わせる。

ほんの数分のことです。

 

けれども、その数分間だけは、

 

「もっと欲しい。」ではなく、

「今あるものに感謝しよう。」

 

「自分が正しい。」ではなく、

「自分にも改めるところはないだろうか。」

 

「誰かがやってくれる。」ではなく、

「自分にできることは何だろう。」

 

と考えることができます。

 

もしかすると、神社という場所は、

何百年、何千年もの間、

日本人にそういう時間を与え続けてきたのかもしれません。

 

 

神社にて 一番大切にしている事は「感謝」です。

 

朝、目が覚めること。

ご飯を食べられること。

仕事ができること。

歩けること。

話せること。

仲間がいること。

今日という一日を生きていること。

 

普段は「当たり前」と思っていることが、

本当はどれほどありがたいことでしょうか??。

 

失って初めて、そのありがたさに気づくことがあります。

 

だから昔の人は、

失う前に感謝するための場所を残してくれたのではないでしょうか。

それが神社だったのかもしれないと思うのです。

 

又神社参拝で学んだ事は、

「自分だけを中心にしない」

という心です。

 

参道では一歩端へ寄る。

神輿は皆で担ぐ。

祭りでは地域全体の幸せを願う。

神仏習合では、違うものを排除せず受け入れる。

 

そして聖徳太子が残した、「和を以て貴しと為す。」

という言葉。

 

すべてが一本につながっているように思います。

 

「和」とは、みんなが同じになることではありません。

 

違う人同士が、互いを認め、譲るところは譲り、

助けるところは助けながら、一緒に生きていくことです。

 

私は、そこに日本人が長い歴史の中で育んできた心を見るように思います。

 

自然を敬う心。ご先祖を大切にする心。

いただいたものに感謝する心。自分を少し控えて相手を立てる心。

困っている人がいれば肩を貸す心。違うものを受け入れる心。

 

そして、

「おかげさまです。」と言える心。

これらを一つの言葉にするなら、

 

私は、

「自分一人で生きているのではないと知る心」

なのではないかと思います。

 

考えてみれば、私たちは誰一人、

自分一人の力だけで今日まで生きてきたわけではありません。

 

両親がいました。ご先祖がいました。

先生がいました。友人がいました。

仕事の仲間がいました。

名前も知らない多くの人が、道路をつくり、水を届け、

食べ物を育て、社会を支えてくださっています。

そして、

太陽が昇り、雨が降り、大地が実り、自然が命を育ててくれています。

 

そう考えれば、

「自分の力で生きている。」

から、

「多くのものに生かされ、支えられて今日がある。」

へと、心が少し変わります。

 

その心から

「ありがとう」が生まれます。

 

「ありがとう」が生まれれば、人に優しくできます。

人に優しくなれば、譲ることができます。

譲ることができれば、そこに「和」が生まれます。

 

そして「和」が生まれれば、

人は一人ではつくれない幸せを、一緒につくることができます。

 

これが、「日本人の心」なのかもしれません。

 

神社へ行かなければ、この心を持てないわけではありません。

大切なのは、神社で思い出した心を、日常へ持ち帰ることです。

 

会社へ行って、仲間を大切にする。

困っている人がいれば手を差し伸べる。

食事の前に「いただきます」と言う。

朝を迎えられたことを喜ぶ。

そして、

一日の終わりに、

「今日もありがたい一日だった。」

と思えるように生きる。

 

神社で学んだことを、毎日の暮らしの中でどう生かしていくのか。

それは、一人ひとりに託されています。

 

「当たり前の中に、ありがたいものを見つける。」

「自分一人で生きているのではないことを忘れない。」

「人と違っても認め合い、困った時には支え合う。」

そして、

「いただいたご恩を、今度は誰かへ返していく。」

 

そんな一日一日の積み重ねが、人の心を豊かにし、

社会を明るくしていくのでしょう。

 

神社は何も語りません。

鳥居も、御神木も、狛犬も、静かにそこにあります。

けれども、

心を静かにして向き合えば、こんな声が聞こえてくるような気がします。

 

「今日という一日を、大切に生きなさい。」

「人を大切にしなさい。」

「そして、ありがとうを忘れない人でありなさい。」

 

それこそが、

先人たちが長い年月をかけて私たちへ残してくださった、

日本人の心なのではないでしょうか。

高光産業株式会社 公式サイト

https://takamitsu.com/

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