
EXECUTIVE BLOG
2026.9.10
高光産業株式会社
妹尾八郎です
昨日までは、
「個人情報を相手に公開しなくても、昔の友人とつながれる仕組み」
について書いてきました。
約20年前、
私は、
相手のメールアドレスを知らなくても情報を届けられる仕組みを考え、
特許として形にしました。
そして、
その考え方を学校に応用できないかと考えました。
学籍番号など、
学校が持つ卒業生との関係を「鍵」にして、
住所を知らなくても、電話番号を知らなくても、
メールアドレスを知らなくても、
昔の友人へ連絡できる。
しかも、お互いの個人情報はむやみに公開しない。
ここまでが前回までのお話です。
しかし実は、私がこの仕組みを考えた理由は、
昔の友人と連絡できるようにすることだけではありませんでした。
もう一つ、どうしても解決したいことがあったのです。
それが、
「卒業すると、なぜ母校との縁まで薄くなってしまうのだろう」
ということでした。
考えてみれば不思議なことです。
学生時代、学校には毎日のように通います。
朝、校門をくぐる。友人に会う。先生に会う。授業を受ける。
部活動をする。
時には叱られ、時には笑い、時には悩みながら、
何年もの時間をそこで過ごします。
ところが卒業式の日を境に、
学校へ行く理由が突然なくなります。
昨日まで毎日通っていた場所なのに、
次の日からは行かなくなる。
そして一年が経ち、五年が経ち、十年が経つ。
気がつけば、
何十年も母校を訪れていない。
そんな人は決して珍しくないと思います。
これは、母校が嫌いになったからでしょうか。
私は、そうではないと思うのです。
ただ、「行く理由がなくなった」
だけなのではないでしょうか。
時代が変わり、学校にも立派なホームページができました。
学校行事。後輩たちの活躍。研究成果。
卒業生のお知らせ。学校の歴史。
さまざまな情報が掲載されています。
しかし、
ここに一つ大きな問題があります。
どんなに立派なホームページを作っても、
見に来てもらわなければ何も伝わらない
ということです。
これは学校だけの問題ではありません。
インターネットでは、
「情報を掲載すること」
と、
「情報を見てもらうこと」
は、まったく別の話です。
学校側が、「卒業生の皆さん、ぜひホームページをご覧ください」
と呼びかけても、
毎日の仕事や生活に追われている卒業生が、
わざわざ定期的に母校のホームページを見るでしょうか。
おそらく、多くの人は見ません。
愛校精神がないからではありません。
母校を思い出すきっかけがないのです。
私はここに、非常に大切な違いがあると思いました。
そこで私は、発想を逆にしました。
学校のホームページを見てもらいたいのであれば、
「学校のホームページを見てください」
と言わなければいい。
少し変な話に聞こえるかもしれません。
しかし、こう考えたのです。
人は「学校の情報を見るため」には来なくても、
「会いたい人を探すため」なら来るのではないか??。
「あいつ、どうしているかな」「あの先輩にもう一度会いたい」
「昔の仲間に連絡したい」「恩師にお礼を言いたい」
その気持ちは、卒業して何十年経っても残ります。
だったら、その入口を母校にすればいい。
例えば、卒業して30年。
ある夜、昔の写真を整理していたとします。
一枚の写真が出てきます。
修学旅行の写真です。
隣に、いつも一緒にいた友人が写っている。
「そういえば、あいつ、どうしているかな……」
そう思う。
昔なら、卒業アルバムの住所録を調べたかもしれません。
しかし現在は連絡先が分からない。
そこで母校のサイトを開く。
自分の資格情報でログインする。
昔の友人を確認する。
そして、
「久しぶり。元気にしていますか」
と一通のメッセージを送る。
ここまでは、これまでお話ししてきた仕組みです。
しかし、その途中で、ふと学校のサイトに目が留まります。
そこには、
「旧校舎建て替えのお知らせ」と書いてある。
自分が通っていた校舎です。毎朝駆け上がった階段。友人と話した廊下。
先生に叱られた教室。文化祭の準備をした場所。窓から見えていた景色。
それが、もうすぐなくなるという。
もし母校のサイトを開かなければ、知らないままだったかもしれません。
さらに見ると、
後輩たちが全国大会に出場したという記事がある。
「あの部活、まだ頑張っているんだな」
創立記念事業の記事もある。懐かしい先生の写真もある。
気がつけば、
友人に連絡するために開いたはずのホームページを、
ずっと見ている。
そこで初めて、「自分も、この学校の卒業生だったんだ」
という気持ちが蘇ってくる。
私は、こういうことが大切なのではないかと思ったのです。
学校としては、卒業生にいつまでも母校を大切にしてほしいと思うでしょう。
しかし、
「愛校精神を持ってください」
と言われて持てるものではありません。
人の気持ちは、そんなに単純ではありません。
懐かしい友人を思い出した。昔の先生を思い出した。
校舎を見て、学生時代を思い出した。後輩の活躍を見て、少しうれしくなった。
その積み重ねの中で、「やっぱり母校っていいな」
という気持ちが自然に生まれるのではないでしょうか。
だから私は、
愛校精神を求める前に、母校を思い出す機会をつくること
の方が大切だと思うのです。
ここで、この仕組みの意味が少し変わってきます。
最初は、AさんとBさんをつなぐサービス
でした。しかし、その間に母校が入ることで、
Aさんと学校もつながる。Bさんと学校もつながる。
さらに別の友人へ連絡すれば、また学校を訪れる。
つまり、
人と人をつなぐたびに、人と母校との接点も生まれる。
私はここに、この仕組みの面白さがあると思いました。
学校が卒業生を追いかけるのではありません。
卒業生が自分から戻ってくる。
しかも、
「学校に戻ろう」と思って戻るのではない。
友人に会いに来たら、そこに母校もいた。
そんな自然な関係です。
これは、とても大きな違いだと思います。
普通、卒業生にとって母校は、「昔通っていた場所」です。
しかし、この仕組みがあれば、「今も使っている場所」
になる可能性があります。
昔の友人へ連絡する。同窓会のお知らせを見る。先輩を探す。
後輩と交流する。恩師の近況を知る。学校のニュースを見る。
そうしたことの入口が母校になる。
すると卒業して10年経っても、30年経っても、50年経っても、
母校との接点が完全には切れません。
これは、学校にとって大きな財産になると思います。
人は年齢を重ねるほど、自分が歩いてきた道を振り返ることがあります。
「あの頃があったから今がある」
と思うこともあります。
しかし、
遠くに住んでいれば、簡単に母校へ行くことはできません。
海外にいる卒業生もいるでしょう。
それでも、
母校のサイトを開き、昔の仲間の名前を見つけ、懐かしい写真を見る。
それだけでも、人は一瞬、あの頃へ戻ることができます。
私は、
「母校へ帰る」というのは、必ずしも校門をくぐることだけではない
と思うのです。
母校を思い出すこと。友人を思い出すこと。
自分がそこで過ごした時間を思い出すこと。
それもまた、
一つの「母校へ帰る」ということではないでしょうか。
友人に会いに行ったら、
母校にも再会した。母校の現在を知った。
後輩たちが頑張っていることを知った。
そして、「自分にも何かできることはないかな」
と思う。
ここまで来て初めて、学校と卒業生との関係は、
「学校から何かをお願いする関係」ではなくなります。
卒業生自身が、
「母校のために何かしたい」
と思う関係に変わっていく可能性があります。
私は、ここが非常に重要だと思っています。
学校が、「寄付をお願いします」と突然お願いする。
それと、
昔の友人を訪ね、母校の現在を知り、後輩たちの姿を見て、
懐かしい校舎を思い出した後で、
「この学校のためなら、少し応援してみようかな」
と思う。
同じ「寄付」でも、
そこに至る心の道筋はまったく違います。
人の心は、
お願いされたから動くのではなく、思い出したから動くことがある。
私は、そう思うのです。
約20年前に考えたこの仕組みは、
単に昔の友人へ連絡するためだけのものではありませんでした。
人と人との縁をつなぎ直す。
その結果、
人と母校との縁もつなぎ直す。
そして、その先には、
卒業生が母校を支える新しい関係まで生まれるかもしれない。
では学校は、卒業生にどうやって協力してもらえばよいのでしょう。
私は、
最初から「寄付してください」と言う必要はない
と思っています。
もっと大切なのは、その前にあるものです。
その話しは
明日へ続く、、、、。