
EXECUTIVE BLOG
2026.9.14
高光産業株式会社
妹尾八郎です
昨日までは、
一つの学校の中だけではなく、学校と学校を越えて、
人と人がつながる仕組みができないだろうか
という話でした。
A大学の卒業生の経験が、B大学の学生を助けてもいい。
ある高校の卒業生が、別の学校の若者の相談に乗ってもいい。
学校は違っても、
誰かが歩いてきた人生が、誰かの未来を助けることがある。
私は、そこに大きな可能性があると思っています。
しかし、
さらに考えていくと、この仕組みは学校同士をつなぐだけでは終わりません。
学校の外には、
企業があります。地域があります。研究機関があります。行政があります。
そして、さまざまな課題を抱えながら生きている人たちがいます。
それならば学校そのものが、
人と知恵と社会が出会う「交差点」になれないだろうか。
そんなことを考えるようになりました。
学校には若い人たちがいます。まだ社会経験は少ない。失敗も少ない。
しかし、その代わりに、「これから」があります。
これから研究者になる人。これから会社をつくる人。これから医療を支える人。
これから新しい技術を生み出す人。これから地域を支える人。
まだ何者でもないかもしれない。
だからこそ、何者にでもなれる可能性がある。
私は、これが学校の大きな力だと思います。
一方、卒業生には、「ここまで歩いてきた人生」があります。
会社をつくった。会社を潰した。新しい商品を生み出した。
海外へ出た。研究を続けた。転職した。
失敗した。立ち直った。人を育てた。
社会の中で何十年も生きてきた。
学生にはまだない経験があります。
つまり、
学生には、「これから」がある。
卒業生には、「ここまで」がある。
この二つが出会ったらどうなるでしょう。
さらに学校の外を見ると、社会にはさまざまな課題があります。
人手不足に悩む企業。後継者がいない商店。人口減少に悩む地域。
新しい技術を必要としている会社。研究成果を社会で生かしたい研究者。
若い人の力を必要としている地域。
逆に、若者には、「自分の力を試してみたい」という思いがあります。
ここで私は思うのです。
なぜ、この人たちがもっと自然に出会えないのだろう。
例えば、地方の小さな会社があるとします。
良い商品を作っている。技術もある。
しかし、
「若い人にどうやって知ってもらえばいいのか分からない」
と悩んでいる。
その相談が学校へ届く。
すると、その学校の学生が、「SNSを使って発信してみませんか」
と提案する。
卒業生の経営者が、「販売先なら紹介できるかもしれません」
と言う。
別の大学の卒業生が、「海外展開なら少し経験があります」
と言う。
研究者が、
「この技術なら、こういう改良ができるかもしれません」
と言う。
最初は、一つの小さな相談だった。
しかし、
人と知恵がつながることで、新しい事業になるかもしれない。
一人の学生の就職先が生まれるかもしれない。
地域に新しい仕事が生まれるかもしれない。
私は、そんなことが起こる場所をつくれないだろうかと思うのです。
もちろん、学校では教科書を学ぶことが大切です。
しかし、
社会には教科書に載っていない問題がたくさんあります。
答えのない問題です。
売れない商品をどうするのか。人口が減っていく町をどうするのか。
後継者がいない会社をどうするのか。新しい技術をどう社会で役立てるのか。
そこには、最初から正解が書かれていません。
だからこそ、若い人にとって大きな学びになる。
「学校で習ったことが、社会ではこう使われるのか」
と分かる。
逆に企業側も、「若い人は、こんな見方をするのか」
と気づく。
教える側と教えられる側が、時には逆になる。
私は、それが本当の意味での交流だと思います。
例えば、70歳の経営者と20歳の学生が一緒に考える。
70歳の人には、50年間の経験があります。
20歳の人には、50年分の経験はありません。
しかし、70歳の人にはないものを持っています。
今の時代を、若い目で見る力です。
「そんな方法では無理だ」と70歳の人が言う。
すると20歳の人が、
「でも、こうすればできるんじゃないですか」
と言う。
反対に若者が、
「簡単にできると思います」と言えば、
経験を積んだ人が、
「そこには、こんな落とし穴があるよ」
と教える。
どちらが上でも下でもありません。
経験と発想が出会う。
そこから、新しいものが生まれるのだと思います。
私は、この仕組みにはもう一つ大切な意味があると思っています。
人は年齢を重ねると、「自分の役割はもう終わった」
と思うことがあります。
しかし、本当にそうでしょうか。
30年、40年、50年かけて得た経験は、若い人には簡単には手に入りません。
失敗した経験さえ財産です。
むしろ、
失敗したからこそ、若い人に教えられることがある。
「あの時は、こうして失敗した」「この判断だけは急がない方がいい」
「人との縁は大切にした方がいい」
そんな言葉は、
何十年も生きてきた人だからこそ言える。
だから私は、人生には、最後まで役割があると思うのです。
よく、「若い人が未来をつくる」と言います。
もちろん、その通りです。
しかし私は、若い人だけで未来をつくる必要はないと思っています。
先輩たちが経験を渡す。若い人たちが新しい発想を加える。
企業が現実の課題を持ち込む。研究者が知識を提供する。
地域が場所を提供する。
それぞれが、
自分にあるものを少しずつ持ち寄る。
一人ではできないことでも、誰かと組めばできるかもしれない。
これこそ、人と人がつながる意味ではないでしょうか。
もし、こういう仕組みができたら、
学校という存在そのものが変わるかもしれません。
今までは、入学する。勉強する。卒業する。そして社会へ出る。
学校と社会は、どこか別々の場所でした。
しかし卒業生が母校とつながり続け、
企業も地域も研究者もそこにつながるようになれば、
学校は、「社会へ出る前に学ぶ場所」だけではなく、
「社会と一生つながり続ける場所」になります。
学生として学校に入り、卒業生として社会へ出る。
30年後には先輩として戻ってくる。時には企業人として戻る。
時には後輩の相談相手として戻る。
そして、自分が受け取ったものを次の世代へ渡す。
学校との関係が、卒業式で終わらなくなるのです。
私は、どれほど素晴らしい知識や経験でも、
持っているだけでは社会を変えないと思っています。
経験を持っている人がいる。
その経験を必要としている人がいる。
しかし、お互いが出会わない。
これでは、知恵は眠ったままです。
だから必要なのは、
「誰が、何を知っているのか」を安全につなぐ仕組みです。
個人情報をむやみに公開する必要はありません。
本人の意思を尊重しながら、必要としている人へ、
必要な知恵を届ける。
技術の役割は、人間の代わりになることではなく、
出会うはずのなかった人と人の間に、橋を架けること
なのではないでしょうか。
ここまで考えると、
「卒業生名簿」という言葉では、とても収まらなくなってきます。
名簿に書かれているのは、
名前や卒業年だけではありません。
その一人ひとりの後ろには、
20年、30年、50年の人生があります。
私は、それを社会の中で生かしたいのです。
自分では、「大した経験ではない」と思っていることでも、
誰かにとっては大きなヒントになるかもしれない。
自分が失敗した話が、
誰かの失敗を防ぐかもしれない。
自分が乗り越えた経験が、今苦しんでいる人に、
「もう少し頑張ってみよう」
と思わせるかもしれない。
そう考えると、
一人の人生そのものが、社会の財産になる
のではないでしょうか。
道路の交差点では、
いろいろな方向から来た人が交わります。
そして、それぞれ別の方向へ進んでいきます。
学校も同じようになれないでしょうか。
学生が来る。卒業生が戻ってくる。企業が来る。
研究者が来る。地域の人が来る。
それぞれが、経験を持ってくる。
課題を持ってくる。夢を持ってくる。
そして、
そこで誰かと出会い、何かを受け取り、また社会へ出ていく。
私は、そんな学校を、「知恵の交差点」
と呼びたいと思います。