
EXECUTIVE BLOG
2026.9.15
高光産業株式会社
妹尾八郎です
昨日までは、
学籍番号などを一つの鍵として、卒業しても人と人がつながる。
昔の友人と再会する。母校との縁を切らない。後輩を応援する。
卒業生の経験を次の世代へ渡す。
さらに学校の壁を越えて人と人をつなぎ、
学校そのものが、「人と知恵と社会が出会う場所」
になれないだろうか。
と言う話でした。。。
ここまで話が広がってきましたが、
そもそもの始まりは、もっと小さな疑問でした。
今から約20年前。
私は、こんなことを考えていました。
「相手のメールアドレスを知らなくても、情報を届けることはできないだろうか」
そこが、すべての始まりでした。
今から約20年前といえば、
今とはインターネットを取り巻く環境も大きく違いました。
スマートフォンも、LINEも、今のようなSNSも、まだ当たり前ではありません。
そして現在ほど、
「自分の個人情報を誰に、どこまで知らせるのか」
ということを、一人ひとりが日常的に意識する時代でもありませんでした。
昔の卒業アルバムには、住所などが掲載されていることもありました。
同窓会名簿にも、住所や電話番号が載っている。
それを見て、「久しぶりに連絡してみよう」ということができた時代です。
便利だったと思います。
しかし、社会は変わっていきました。
個人情報を守るという考え方が広がり、
「連絡を取りたいからといって、個人の住所や電話番号を広く公開してよいのだろうか」
という問題が強く意識されるようになりました。
これは当然の流れだと思います。
ただ、その一方で、
私は一つ気になったことがありました。
個人情報を守るほど、人と人との縁まで切れてしまうのではないか。
ということです。
人間の気持ちは不思議です。
自分の住所を、昔の同級生全員に公開したいわけではない。
電話番号も教えたくない。
メールアドレスも、仕事用であればなおさらです。
現在なら、LINEやSNSのアカウントを誰にでも教えたいわけではないでしょう。
しかし、
「昔の友人とは、いつかまた話してみたい」という気持ちはある。
ここに、一見すると矛盾する二つの願いがあります。
自分の情報は守りたい。
しかし、人との縁は残したい。
私は約20年前、この二つを同時に実現できないだろうかと考えました。
私は、
「相手へ連絡するためには、相手の連絡先そのものを知らなければならない」
という常識を疑ってみました。
考えてみれば、
連絡できることと、相手のメールアドレスや住所を自分が知っていることは、
必ずしも同じではありません。
システムの中では本人と連絡先が適切に結び付いている。
しかし、
それを他の利用者にはむやみに公開しない。
送りたい人は、「この人に届けてください」
とシステムに頼む。
システムが本人を確認して、その人へ届ける。
つまり、
相手の連絡先を「知る」のではなく、相手へ「届けてもらう」。
この違いです。
私は、この考え方を仕組みにし、特許という形に残しました。
新しい仕組みを考える時、いつも難しいことがあります。
世の中にまだ大きな問題が起きていない段階では、
その問題を解決する技術の必要性も理解されにくいということです。
「今のままで困っていない」
「メールアドレスを聞けばいいじゃないか」
「住所録があるからいいじゃないか」
20年前なら、そう思う人がいても不思議ではありません。
だから、少し早すぎた発想だったのかもしれません。
しかし、私は発明というものは、
今ある困り事だけを解決するものではないと思っています。
時には、
「この先、こんなことで困る時代が来るのではないか」
と考えることも大切です。
20年という時間が経ちました。社会は大きく変わりました。
今では、個人情報を守ることは特別な考え方ではありません。
当たり前になりました。
知らない人から突然連絡が来れば警戒する。
電話番号をむやみに教えない。
住所も公開しない。
SNSでも公開範囲を考える。
一方で、
人と人とのつながりは以前にも増して重要になっています。
つまり今の社会は、
「つながりたい。しかし、自分の情報は守りたい」
という、
20年前に私が考えていた問題に、より近づいてきたように思えるのです。
発明が時代を変えることもあります。
しかし逆に、
時代の方が、後から発明の意味に追いついてくることもある。
私は、この仕組みを振り返りながら、そんなことを感じています。
インターネットは便利です。しかし、便利になるほど、
私たちは多くの情報をネット上に置くようになりました。
名前。写真。勤務先。友人関係。行動履歴。
さまざまな情報です。
私は、便利な社会を否定するつもりはありません。
ただ、
便利になることと、すべてを公開することは違うと思っています。
必要な時にはつながれる。
しかし必要以上には見せない。
相手を探すことはできる。
しかし相手の個人情報を勝手に取得することはできない。
本人が嫌なら断ることもできる。
悪用すれば、運営側では誰なのか確認できる。
これは、
「完全な匿名」でもなければ、「完全な公開」でもない。
その間にある、新しいつながり方です。
学校の仕組みに応用する時、
私が学籍番号などに注目した理由も、ここにあります。
メールアドレスは変わります。電話番号も変わります。
住所も変わります。使っているSNSも変わります。
しかし、「この学校で学んだ」という事実は変わりません。
その事実を確認する学校があり、本人を確認する仕組みがあり、
その上で現在の連絡手段へ橋を架ける。
そうすれば、
連絡方法が変わっても、人と人との縁を残すことができる。
つまり学籍番号そのものが重要なのではありません。
本当に大切なのは、
変わり続ける「連絡先」ではなく、変わらない「関係」を基準に人をつなぐ
という発想なのです。
ここで、改めて考えると面白いことがあります。
20年前、この仕組みを考えていた時、
今のようなLINE中心の社会を具体的に想像していたわけではありません。
これからどんな通信サービスが生まれるのかも分かりませんでした。
そして今から20年後、
LINEが今と同じように使われているかどうかも分かりません。
新しい通信手段が登場しているかもしれません。
しかし、
通信手段が何に変わっても、「昔の友人にもう一度会いたい」
という人の気持ちは、おそらく変わらないでしょう。
技術は変わる。サービスも変わる。
しかし、
人の心には、変わらないものがある。
私は、そこを仕組みにできないかと考えたのです。
私は今回、約20年前に取得した特許を改めて見直しながら、一つ思ったことがあります。
特許というと、
権利を守るもの。技術を独占するもの。
そういうイメージが強いと思います。
もちろん、それも大切な役割です。
しかし、もう一つの見方ができるのではないでしょうか。
発明者が、「いつか、こんな社会が来るかもしれない」
と考えたことを文章にして残す。
そして10年、20年経ってから、
「あの時考えていたことには、こういう意味があったのか」
と気づく。
そう考えると、
特許とは時として、過去の自分から未来の社会へ送った手紙
のようなものなのかもしれません。
この発想を考えた頃、前例はほとんどありませんでした。
前例がないものを考えるのは簡単ではありません。
説明しても、
「何のために必要なの?」と言われる。
実際に世の中にないものですから、
完成した姿を見せることもできない。
それでも、
「こんな仕組みがあったら、人の困り事を解決できるのではないか」
と考える。
私は、発明とはそこから始まると思っています。
すでにあるものを少し便利にすることも発明です。
しかし、
まだ誰も困っていることに気づいていない時に、その先を考える。
それも発明の面白さではないでしょうか。
約20年前、
私は一つの小さな種を蒔きました。
「相手の連絡先を知らなくても、人と人をつなぐことはできないだろうか」
という種です。
その時には、
それがどこまで育つのか分かりませんでした。
しかし今回、改めてその種を見てみると、
そこからいろいろな枝が伸びています。
学籍番号を使った卒業生同士のつながり。
母校との継続的な関係。個人情報を守った連絡。
後輩への支援。母校への寄付。卒業生の経験の活用。
学校を越えたネットワーク。企業や地域、研究機関との連携。
そして、
学校が「知恵の交差点」になるという未来。
一粒の種から、
思っていた以上に大きな木が育つ可能性が見えてきました。
ここまで、特許やシステムについていろいろ書いてきました。
しかし私は、
最後に残るものは技術ではないと思っています。
学籍番号でもない。データベースでもない。
メールでもない。インターネットでもない。
それらはすべて、
人と人をつなぐための道具です。
本当に残したいものは、もっと単純なものです。
卒業して50年。
ある日、一通のメッセージが届く。
そこには、
昔、一緒に笑った友人の名前がある。
「久しぶり。元気にしているか」
その一言を見た瞬間、
50年という時間が消える。教室が蘇る。校庭が蘇る。友人の笑顔が蘇る。
そして、
「自分にも、こんな時代があったな」と思う。
技術が本当に価値を持つのは、
そんな人の心をもう一度つなぐことができた時なのではないでしょうか。
約20年前には、
少し早すぎたのかもしれません。
しかし20年経った今だからこそ、
この発想の意味が、以前よりはっきり見えてきたように思います。
そして、
私はさらにその先を想像します。
もしこの仕組みが本当に社会に根付き、
卒業して10年、30年、50年経っても、
人と人が母校を通じてつながっていたら。
学校という場所は、
人生のほんの数年間だけ通う場所ではなくなるかもしれません。
一生、自分の人生のどこかにつながっている場所になる。
では、そんな未来が本当に実現したら、
私たちにとって「卒業」とは、一体何を意味するのでしょうか???。
それは????
明日に続く、、、、、。