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社長&顧問ブログ

2026.9.25

エリスは実在したのか?

高光産業株式会社

妹尾八郎です

 

昨日の番外編では、

森鴎外の代表作『舞姫』について書きました。

 

日本からドイツへ渡った青年・太田豊太郎。

そこで出会った踊り子・エリス。

二人は愛し合います。

 

しかし豊太郎は、愛する女性と生きる道ではなく、

日本へ帰り、自分の将来を取り戻す道へ進んでいきます。

 

愛か。仕事か。自分の気持ちか。社会の中で生きていく道か。

明治23年、1890年に発表された小説でありながら、

そこに描かれている人間の迷いは、

今の私たちにも通じるものがあると思います。

 

ところが、『舞姫』について調べているうちに、

私はさらに驚くことを知りました。

 

「もしかすると、エリスには実在のモデルがいたのではないか」

という話です。

そして、それは単なる想像だけではありません。

 

鴎外がドイツから帰国した直後、

実際に一人のドイツ人女性が日本へやって来ているのです。

 

森鴎外、本名・森林太郎は、

明治17年、1884年、陸軍から派遣されてドイツへ留学しました。

 

目的は医学や衛生学を学ぶことでした。

 

ライプツィヒ、ドレスデン、ミュンヘン、ベルリン。

若き森林太郎は、ドイツ各地で学びます。

 

当時の日本は、明治維新からまだそれほど年月がたっていません。

西洋の制度や科学、文化を懸命に取り入れようとしていた時代です。

 

そんな時代に、

二十代の青年がヨーロッパへ渡ったのです。

見るもの、聞くもの、触れるもの。

そのすべてが、日本とは違っていたことでしょう。

 

そして約4年間の留学を終え、鴎外は日本へ帰国します。

ここまでは、いわば「優秀な軍医の海外留学」の話です。

 

ところが、その後に思いがけない出来事が起こります。

 

鴎外が帰国して間もなく、一人の若いドイツ人女性が日本へやって来ました。

 

現在では、この女性について研究が進み、

エリーゼ・ヴィーゲルトという人物が、

『舞姫』のエリスのモデルを考える上で

重要な存在として知られるようになっています。

 

ただし、ここは慎重に考えなければなりません。

『舞姫』は小説です。

 

太田豊太郎がそのまま森鴎外であり、エリスがそのままエリーゼである、

と単純に決めつけることはできません。

 

文学作品には、実際の経験だけではなく、

作者の想像や脚色、さまざまな思いが加えられています。

 

それでも、

鴎外が帰国した直後に、

ドイツから若い女性が海を越えて日本までやって来た。

 

この事実を知ると、『舞姫』という作品の見え方が少し変わってきます。

 

明治時代に、ドイツから日本へ来るということ

私はここで、一度立ち止まって考えてしまいました。

 

今なら、

ドイツから日本へ飛行機で来ることができます。

連絡も、電話やメールですぐに取れます。

 

しかし、

これは明治21年、1888年のことです。

飛行機などありません。

もちろん、携帯電話もインターネットもありません。

日本は、今とは比べものにならないほど遠い国だったはずです。

 

その日本へ、一人の若い女性がやって来た。

どのような気持ちだったのでしょう。

不安はなかったのでしょうか。

家族から反対されなかったのでしょうか。

そして、何より、

そこまでして会いたい人が、日本にいたということなのでしょうか???。

 

私はそのことを考えると、

単なる文学史の出来事として読むことができなくなりました。

 

しかし、二人は一緒にはならなかった

彼女が日本へやって来たからといって、

物語のような幸福な結末が待っていたわけではありませんでした。

 

鴎外の家族をめぐる事情などもあり、

彼女は長く日本にとどまることなく、やがて帰国することになります。

 

ここについても、

後世に伝わった証言には解釈の違いがあります。

ですから、「誰が二人を引き裂いた」と単純に決めつけることはできません。

 

ただ、一つ確かなのは、

海を越えて日本へやって来た女性と、

鴎外が日本で人生を共にすることはなかった

ということです。

 

そして、その後、鴎外は『舞姫』を書きます。

そう考えると、

私はまた根津神社にある「舞姫の家」を思い浮かべてしまいます。

 

あの家で、鴎外は何を思っていたのでしょう

 

東京にいる時の朝は、私は根津神社に参拝に行きます。

その境内には『舞姫』を書いた家があります。

 

もちろん、建物を眺めても、当時の鴎外の心の中までは分かりません。

しかし、『舞姫』が生まれた背景を少しずつ知っていくと、

古い家がただの文化財ではなくなってきます。

 

あの部屋で机に向かいながら、

鴎外はドイツの日々を思い出したのでしょうか。

ベルリンの街並みを思い出したのでしょうか。

そして、

日本までやって来た一人の女性のことを思い出すことはなかったのでしょうか。

 

それは、今となっては誰にも分かりません。

 

だからこそ、文学は面白いのかもしれません。

書かれている文章の向こう側に、

書かなかったこと、書けなかったこと、そして作者だけが知っていた思い

があるからだと思うのです。

 

人には、心の中に残り続けるものがある

長く生きていると、いろいろな人と出会います。

ずっと一緒にいる人もいれば、ほんの短い間だけ人生が交わる人もいます。

毎日のように会っていたのに、いつの間にか会わなくなった人。

何十年も会っていないのに、なぜかふと思い出す人。

 

「あの時、違う道を選んでいたら」

そう考える出来事もあるでしょう。

 

しかし、人生はやり直すことができません。

選ばなかった道へ戻ることもできません。

 

だからといって、

過ぎ去った出会いや出来事が無駄だったわけではないと思うのです。

 

その人に出会ったから、考え方が変わった。

あの経験があったから、今の自分がある。

別れたからこそ、心の中に残ったものもある。

 

人生とは、今そばにいる人だけでつくられているのではなく、

これまで出会ってきたすべての人によって

少しずつつくられているのかもしれません。

 

最初は、

朝参拝している根津神社に、「なぜ、こんな古い家が建ったのだろう」

と思っただけでした。

 

それが森鴎外の家だと知りました。『舞姫』を書いた家だと知りました。

鴎外が軍医だったことを知りました。ドイツへ留学していたことを知りました。

そして、

一人のドイツ人女性が鴎外の帰国後、日本までやって来たことを知りました。

そうやって調べていくうちに、

百年以上前に生きた人たちが、少しずつ身近に感じられるようになってきました。

 

歴史に名前を残した人も、私たちと同じ人間です。

人を好きになり、迷い、悩み、何かを選び、

そして、

選ばなかった何かを心のどこかに残しながら生きていたのかもしれません。

 

次に上京した時には 又根津神社へ向かいます。

そして「舞姫の家」の前を通るでしょう。

 

その時、私はきっと思います。

人の人生には、形として残るものと、心の中にしか残らないものがある。

けれど時として、その心の中に残ったものが、

文章となり、作品となり、百年以上たっても誰かの心を動かすことがある。

 

もし『舞姫』の中に、

若き日の鴎外の何らかの思いが込められているのだとすれば、、、、。

 

人の心というものは、時代を越えて残ることがあるのだと感じます。

そして、

私はもう一つのことが気になり始めました。

 

森鴎外が暮らしたこの谷根千という町には、

鴎外だけではありません。

日本文学史に残る、もう一人の大文豪が暮らしていました。

 

その大文豪とは??????

は

明日へ続く、、、、。

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