
EXECUTIVE BLOG
2026.10.7
高光産業株式会社
妹尾八郎です
高光産業株式会社
妹尾八郎です
いよいよ、文豪の街谷根千の話しも大詰めです、、、。
始まりは、本当に小さなことでした。
普段参拝している根津神社。
その境内に、ある日、一軒の古い家が現れました。
「これは何だろう」ただ、それだけでした。
けれど、その小さな疑問から、思いもよらない世界が広がっていきました。
森鴎外という人を知り、『舞姫』を知り、
そこから多くの文豪や芸術家たちの人生へつながっていきました。
そして最後に残ったのは、「昔、こんな偉い人がいました」
という知識だけではありませんでした。
むしろ私は、
毎日見ているものの中に、どれほど多くの物語が隠れているのか。
そのことを教えられたような気がします。
私たちは、慣れてしまうと見なくなります。
毎日歩く道。毎日見る建物。いつも通る坂。いつもそこにある木。
いつもの神社。
初めて来た人なら立ち止まる景色も、
毎日そこにいる人は、何も感じず通り過ぎてしまいます。
人間というものは不思議です。
「知らないもの」には関心を持つのに、
「いつもあるもの」には、
だんだん関心を持たなくなってしまいます。
けれど今回、
私は逆なのかもしれないと思うようになりました。
本当に面白いものは、遠くにあるとは限らない。
むしろ、
何度も見ているのに、
まだ何も知らないものの中にあるのかもしれません。
根津神社の一軒の家も、そうでした。
もし、「古い家が建ったな」で終わっていたら、
今回の話は何も始まりませんでした。
そこに、「なぜだろう」という気持ちが一つ生まれた。
たったそれだけで、
百年以上前の人たちの人生へつながっていったのです。
考えてみれば、
人生にはこういうことがたくさんあるのではないでしょうか。
何気なく聞いた一言。偶然出会った人。たまたま読んだ本。
ふと気になった場所。
その時には何の意味もないと思っていたことが、
何年か後になって、「あれが始まりだったのか」
と気づくことがあります。
大きな出来事だけが人生を変えるのではありません。
むしろ、
その時には小さすぎて気にも留めなかったことが、
後から大きな意味を持つことがあります。
今回の私にとっては、
根津神社の中に現れた一軒の家が、それでした。
そしてもう一つ、強く感じたことがあります。
それは、人は皆、
自分の時代を必死に生きていたということです。
今では「文豪」「偉人」「名作」と呼ばれる人たちも、
その時には、
自分の作品が百年後まで残るかどうかなど分からなかったでしょう。
今のように名前が知られることも想像していなかったかもしれません。
悩みもあった。迷いもあった。生活もあった。
人間関係もあった。思い通りにならないこともあった。
それでも、
その人はその人なりに、与えられた一日を生きました。
そして、その積み重ねが、
後から「人生」と呼ばれるものになった。
私はそこに、とても大切なことがあると思います。
私たちは、
自分の人生を生きている最中には、
今していることの意味をすべて知ることはできません。
今日した仕事が、十年後に何につながるのか。
今日出会った人が、自分にとってどんな人になるのか。
今日考えたことが、将来どんな形になるのか。
その時には分かりません。
だからこそ、今を粗末にしないこと。
今日出会った人を大切にすること。
気になったことをそのままにしないこと。
そして、
「なぜだろう」という気持ちを失わないこと。
それが大切なのだと思います。
年齢を重ねると、経験は増えます。知っていることも増えます。
その一方で、
驚くことは少なくなっていきます。
「そんなものだ」「知っている」「今さら」
そんな言葉も増えていきます。
けれど、本当は年齢を重ねたからこそ、
もう一度、
新しい目で物を見ることが大切なのかもしれません。
子どものように、
「これは何だろう」「なぜこうなっているのだろう」
と考えてみる。
それだけで、いつもの世界が少し変わります。
私は以前、
京都の早朝に聞いたお寺の鐘の音が、なぜか心に響いたことを書きました。
鐘の音は、それまでにも何度も聞いていたはずです。
でも、その朝は違いました。
足を止めた。気になった。
そして、
そこから一つの物語が始まりました。
今回も同じです。
根津神社に毎朝通っていたからこそ、変化に気づきました。
そして、
立ち止まったからこそ、知らなかった世界へ入ることができました。
もしかすると、人生を豊かにしてくれるのは、
特別なことばかりではないのかもしれません。
日常の中にある小さな違和感。
小さな発見。小さな好奇心。
それを大切にできるかどうか。
そこに違いがあるように思います。
上京時、
私は根津神社へ向かうでしょう。
同じ鳥居をくぐり、同じ境内を歩き、同じように朝を迎える。
景色そのものは、
昨日とほとんど変わらないかもしれません。
けれど、私の中では、もう同じではありません。
一軒の家を見れば、そこに生きた人の時間を思う。
古い道を歩けば、かつてここを歩いた人たちを思う。
町を見れば、その町をつくってきた人たちのことを思う。
つまり、
景色が変わったのではありません。
自分の見方が変わったのです。
そして、
見方が変われば、
同じ人生でも見えるものが変わります。
不便だと思っていたことの中に、
ありがたさを見つけることもあります。
遠回りだと思っていたことが、
後になって必要な時間だったと気づくこともあります。
何でもない一日が、
実は二度と戻らない大切な一日だったと分かることもあります。
だから私は、最後に、
一つだけ心に残しておきたいと思います。
人生には、見えているものより、まだ見えていないものの方が多い。
そして、
それを見えるようにしてくれるのが、
「なぜだろう」
という小さな好奇心なのだと思います。
遠くへ行かなくてもいい。特別なことをしなくてもいい。
いつもの場所で、いつもの景色を、
少しだけ違う目で見てみる。
そこから、
まだ知らない世界が始まることがあります。
根津神社の一軒の古い家が、
私にそれを教えてくれました。
私は毎朝、同じ道を歩いていると思っていました。
けれど今は、
同じ道など一日もないのかもしれないと思っています。
昨日まで知らなかったことを一つ知れば、
今日の道は、昨日とは違う道になるからです。
そして、
今日という一日も同じです。
昨日と似た一日であっても、
昨日と同じ一日ではありません。
だからこそ、今日も何か一つ、
気づける自分でありたいと思います。
明日は小さな好奇心から
思いついた ある事の話に、、、、、
続く、、、。