EXECUTIVE BLOG
2024.12.30
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは 平安時代から始まったと言われる
年賀状の話しでした。
それが 明治以後飛躍的に発展する事になったのです。
新年の訪れを告げる年賀状ですが、その小さなカードには、
日本の文化や歴史が詰まっているのですね。
特に、年賀状に押される消印には、興味深いエピソードが隠されているんですよ。
かつて、年賀状には「受付局」と「配達局」の2つの消印が押されていたのを
ご存知でしょうか??
このうち、特に重要視されていたのが「配達局の1月1日の消印」だったのです。
新年の幕開けを象徴するこの消印を求めて、
多くの人が年末や元旦に年賀状を出していたのです。
年賀状を出す人がどんどん増えて来ると この処理も大変な事になります。
それで明治32年に、郵便局は年賀状の取り扱いに関して特別な制度を設けたのでした。
この制度とは、12月20日から30日の間に指定された郵便局に持ち込まれた年賀状は、
なんと「1月1日の消印」で新年に配達されることになったのです。
さらに、明治40年には、年賀状の投函方法にも変化がありました。
それまでは、まとまった数の年賀状を束ねて郵便局に持ち込むのが一般的でしたが、
この年から郵便ポストへの投函が可能になったのです。
これにより、少量の年賀状でも気軽に送れるようになり、
現在の年賀郵便の基礎が築かれた事になるのです。
このように、年賀状の歴史を振り返ると、日本の郵便制度の変遷や、新年を迎える心の準備としての年賀状の意味合いが見えてきます。
今ではデジタル化が進み、年賀状を送る習慣も少しずつ変わってきていますが、
この小さなカードに込められた想いは、時代を超えて受け継がれ日本文化の
伝承となって欲しいなと思います。
このような 人の大切な気持ちを伝える年賀状も
昭和15年頃になると、状況は一変してしまったのです。
それは戦争の悪化に伴い、物資の不足が深刻化したことでした。
国内では年賀状の自粛ムードが広がり、ついには年賀郵便の特別取扱いが中止されてしまったのです。
さらに
昭和16年には太平洋戦争が始まり、戦争の影響で年賀状を送ることはほぼ不可能になってしまったのでした。
戦時下では、人々の心にも暗い影が落ち、年賀状を通じた明るい新年の挨拶は、
遠い記憶となってしまったと言う悲しい歴史もあったのです。
戦後も なかなか 年賀状の数が増えませんでした
それを あるアイデアを民間人が出し 爆発的に年賀状が売れるようになったのです。
現在も続くお年玉付き年賀はがきは、
1950年のお正月用として前年12月に初めて売り出されました。
その仕掛けを考え付いたのは郵政省ではなく、
京都に住み大阪・心斎橋で仕立て屋を経営していた林正治さんと言う方だったのです。
第二次世界大戦中に郵便局での取扱いが中止されていた年賀状は、
戦後の1948年、8年ぶりに再開されました。
しかし終戦後の混乱期、散り散りになったまま消息のつかめない人も多数いました。
社会不安の中、郵便の利用をする人は少なかったそうなのです。
そんな時、林さんが思いついたのが お年玉付き年賀はがきだったと言うわけです。
年賀状交換がかつてのように盛んになれば、お互いの無事を確かめ合い、励まし合えると考え、
さらに
そこにお年玉くじを付けて寄附金を加えれば、夢もあり社会福祉にもつながるのではないかと考えたのです。
もらった相手も、懐かしさを感じるとともに心和むのではないだろうか。
と言うアイデアが生まれたのは
戦後から4年経った1949年6月のことだったのです。
民間人である 林さんの 常識に囚われない発想が お年玉付き年賀はがきを産んだと
言う事になります。
これには 他にもいろいろ関係する話がありますが
明日は いよいよ 2024年の大晦日です。
今年最後のブログは
大晦日ネタなのか???
はたまた、、、、、、???
は
明日 大晦日に続く、、、、。