EXECUTIVE BLOG
2024.12.27
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは クリスマスに関する話でした。
しかし ローマ皇帝が キリスト教徒を増やすために 12月25日を
クリスマスとして祝う日にしたと言う話でした。
クリスマスにつきものなのは クリスマスツリーですね、、。
このクリスマスツリーに込められた意味があるのです。
それは装飾を超え、古代から続く異教的な象徴とキリスト教の教えが交わる複雑な歴史の中にあると言われているのです。
その起源の一部には、聖書や伝承で語られるニムロデと言う人物の存在が関係しています。
ニムロデは『創世記』に登場する「力強い狩人」であり、
神の意志に逆らってバベルの塔を築こうとした反逆者なのです。
彼は神への従順を拒み、人々を自らの影響下に置くことで異教的な信仰を広め、
死後も神格化されて「太陽神」や「再生」の象徴とされたのでした。
その後、彼の妻が、亡き夫を神として祀り、
息子タムズを再生したニムロデとして崇めたことから、
ニムロデは生命の再生を象徴する存在と見なされるようになったのです。
こうした異教的な信仰や再生の概念が、後のクリスマスツリーに影響を与えたと考えられたと言われているのですよ。
冬至に常緑樹を飾る風習は、ニムロデが象徴する「再生」と「生命力」を称える異教の儀式から発展したそうです。
常緑樹は寒冷な冬にも枯れず緑を保つことから、生命力や不死を象徴し、
古代の人々にとって特別な存在だったのです。
キリスト教が広がる過程で、異教の象徴であった常緑樹は、
キリスト降誕を祝うクリスマスツリーとして取り入れられましたが、
その裏には古代の再生と生命力の象徴が秘められていたと言う事になるのですね、、、
こういう意味があり
クリスマスツリーは単なる装飾ではなく、ニムロデや古代異教的な再生の概念が潜む、
異教とキリスト教が交錯する象徴と考えられていたのですが、 日本では クリスマスには
飾るのが常識としか 考えられていませんね、、、。
又 キリストが12月25日に生まれたという通説には、歴史的・地理的に重大な矛盾が存在すると言う話をご存知でしょうか???
聖書の記述によると、キリストが生まれた夜、羊飼いたちは野原で羊の群れを見守っていたとされていますね。
しかし、パレスチナの気候では、10月末以降になると夜間の気温が大幅に下がるため、
羊飼いたちが夜通し野外で羊の群れを見守ることは一般的にはあり得ないのです。
また、キリスト誕生の時期、聖母マリアと夫ヨセフはベツレヘムまで移動しなければ
ならなかったのですが、
特に注目すべきは、この時マリアは臨月に近い身重の状態ですよね、、、
車もヒーターもない時代に、ローマ帝国が寒さの厳しい真冬に、
妊婦が長距離移動をする事は非常に非現実的だったのでは と思うのです。
もしかしたら もっと温かい時期に産まれていたのではと思いますが
如何でしょうか????
クリスマスは過ぎましたが
クリスマス一つとっても 当たり前の事を少し 裏から見て見ると面白い事が
分かってきますね、、、
で 明日は
どのような 話に展開するのでしょうか????
まだ考え中、、、、。