EXECUTIVE BLOG
2025.7.3
高光産業株式会社
妹尾八郎です。
昨日までは ヒトラーと毛沢東の話しでした。
今日は もう一人の独裁者 スターリンの話に進みます、、、。
20世紀の歴史を振り返ると、独裁という言葉のもとに世界を大きく揺るがした人物として、ヒトラー、毛沢東、そしてスターリンの3人の名は避けて通れません。
彼らはそれぞれ異なる国と時代背景の中で登場し、異なる思想と方法で自国を統治しましたが、共通して「絶対的な権力」を手にし、民衆の感情や国家の仕組みを巧みに操作しながら、その地位を固めていった点では非常によく似ています。
まずヒトラーはドイツという国の中で、ナチスという政党を巧みに利用し、
「国民に選ばれた独裁者」としての姿を築きました。
彼は巧みな演説とプロパガンダ、そしてドイツ国民の「第一次世界大戦の敗戦からくる屈辱」や「経済的苦しみ」といった不満を吸収して、
それを「ユダヤ人」や「共産主義者」など特定の敵に向けることで国民の結束を作り上げました。
毛沢東もまた中国において、「帝国主義への抵抗」や「貧困層の不満」を糧に、
共産主義という新しい思想の旗印のもとに多くの若者や農民を巻き込み、
国を変革していきました。
彼は文化大革命を通じて「古い価値観や秩序」を破壊し、自らの理想を押し進めようとしました。その中核を担ったのが、若者たちで構成された紅衛兵という存在でした。
そしてスターリンもまた、ロシア革命後の不安定な時代を背景に登場し、
レーニン亡きあとのソ連の中で権力を掌握していきます。
スターリンは、表向きは「社会主義国家の建設」を掲げていましたが、
実際には自らに反対する者を徹底的に粛清し、恐怖によって国民を支配していきました。
ヒトラーの統治は、徹底的な「国民統一」と「民族優越思想」に支えられていました。
ナチス党のもとで国民の生活のすみずみにまで思想教育が行き届き、
ヒトラーは「国家そのもの」として崇拝されました。
その中でSS(親衛隊)という私的軍事組織が大きな力を持ち、
反対派の弾圧、ユダヤ人の迫害、秘密警察による監視体制が敷かれていきました。
毛沢東もまた、自らの存在を特別視させることで絶大な影響力を持ちました。
文化大革命の際には、紅衛兵と呼ばれる若者たちを使って、
知識人や党の古参幹部を攻撃させ、既存の権威を打ち壊させました。
紅衛兵は一時的には毛沢東の私兵のような存在であり、国家の制度を超えた行動をとることが許されていました。
一方でスターリンには、親衛隊や紅衛兵といった名前こそありませんが、
同じように強大な秘密警察組織が存在していました。
スターリン時代のNKVD(のちのKGB)は、国家の安全保障機関としてだけでなく、
国内の反対派や思想犯の摘発、粛清、強制収容所送りなどを担う恐怖の存在でした。
スターリンの統治の特徴は「恐怖と疑心」にあります。
彼はあらゆる組織に密告と監視のシステムを張り巡らせ、同志や部下すら信用せず、
少しでも疑わしい動きを見せた者を次々に処刑したりシベリアに送ったりしました。
そのため人々は常に監視されているという意識を持ち、
言葉や行動に細心の注意を払うようになっていきました。
これはヒトラーや毛沢東にも共通する部分ではありますが、
スターリンはとりわけそれを徹底し、国家そのものを巨大な監視機構に変えていったとも言えます。
また興味深いのは、
3人とも自分に不都合な歴史や人物を「なかったこと」にする術を持っていた点です。
ヒトラーはユダヤ人や障害者、政敵を物理的に排除することで「理想の社会」を作ろうとしましたし、毛沢東は文化大革命を通じて伝統や宗教を破壊しました。
スターリンもまた、歴史を改ざんし、写真から粛清した人物を消し去るなど、
過去を書き換えることで「スターリンだけが正しい」という神話を作ろうとしました。
教育、文化、芸術、そして日常会話にまで自分の名前を刻み込んでいくことで、
「国家イコール自分」という図式を成立させようとしたのです。
一方で、その支配の手法には違いも見られます。
ヒトラーは国民感情を巧みに利用して「熱狂」に導きました。彼の演説や集会はまさに劇場のようで、感情を揺さぶる手法が重視されました。
毛沢東は「革命」という言葉を何度も使い、民衆の力を借りて既存の秩序を壊し、
新しい社会を作るという幻想を与えました。
彼は「自分と民衆が一体」であるかのように装いました。
スターリンはというと、どちらかと言えば「冷酷な管理者」としての側面が強く、
演説や情熱よりも、徹底した統制と疑心の網で国家をコントロールしたのです。
これは言い換えれば、ヒトラーと毛沢東が「心をつかむ支配者」だったのに対し、
スターリンは「心を締め付ける支配者」だったのかもしれません。
さらにもうひとつ大きな違いは、彼らの「後継とその評価」にあります。
ヒトラーは敗戦とともに命を絶ち、ドイツは彼の統治を全否定しました。
毛沢東も死後は徐々に批判されるようになり、
現在の中国では彼の功績と過ちが「七三(七割の功績、三割の過ち)」というバランスで語られています。
スターリンは、死後まもなくフルシチョフによって批判され、
「スターリン批判」という名のもとに多くの事実が明らかにされました。
けれども現在のロシアでは、一部でスターリンを再評価する声もあり、
その存在は歴史の中で複雑な位置を占めています。
こうして見ると、ヒトラー、毛沢東、スターリンは、国も時代も違いながら、
民衆を自分に惹きつけ、時に熱狂させ、時に恐怖で支配しながら、
自らの理想を押し付けていった独裁者であったことに変わりはありません。
彼らはそれぞれ違った道具を使い、違った手法で民衆を動かしましたが、
共通して言えるのは
「一人の人間がすべてを決める社会」がいかに危険で脆いものであるか、
という教訓です。
歴史はそのことを私たちに静かに語りかけているのかもしれません。
明日は ではあの人は何故独裁者にならなかったのか??
に続く、、、、。