EXECUTIVE BLOG
2025.7.5
高光産業株式会社
妹尾八郎です。
昨日までは レーニンの話しでした。
今日は マルクスレーニン主義の中でも 元祖とも言える マルクスの話に進みます、、。
マルクス・レーニン主義、いわゆるML主義は、
19世紀から20世紀にかけての世界に大きな影響を与えた思想です。
学生運動の時代には、この思想に共鳴する若者たちが多く存在し、
日本でもML派と呼ばれるグループが活動していました。
彼らは、資本主義社会の矛盾を打破し、労働者が主役となる社会を目指し、
時には暴力的手段も辞さないという過激な信念を抱いていました。
このML主義の名前の由来は、思想の始祖であるドイツの哲学者カール・マルクスと、
彼の理論を実践に移したロシアの革命家ウラジーミル・レーニンです。
しかしながら、ここで一つの素朴な疑問が生まれます。
それは、なぜマルクスの母国であるドイツでは、マルクスが望んだようなプロレタリアートによる革命が成功せず、一方でレーニンのいたロシアではそれが実現したのか???、
という点です。
この違いを理解するには、当時の両国の社会的、政治的背景を知る必要があります。
まず、マルクスが活動していた時代のドイツは、徐々に産業革命が進み、経済が発展しつつありました。確かに労働者階級は過酷な労働条件の中に置かれていましたが、
同時に労働運動や社会民主主義政党の成長も見られ
政治的に少しずつではあるものの、改善の兆しがありました。
つまり、変化を求める声が暴力的な革命ではなく、選挙や議会を通じた穏やかな改革を求める方向に向かっていたのです。
実際、マルクスの後継者として有名なエドゥアルト・ベルンシュタインなどは、
暴力革命よりも議会主義による社会主義の実現を主張するようになり、
ドイツ社会民主党は次第に現実的な路線をとるようになりました。
これにより、マルクスの理想とした急進的な革命はドイツ国内では次第に支持を失い、
代わりに穏健な社会改革が目指されるようになったのです。
また、ドイツ帝国は、統一後の1871年以降、ある程度の法秩序や行政機構を持っており、革命運動に対しては警察力や軍を用いた強力な弾圧も行われていました。
このように、制度が整っていたため、民衆の不満がすぐに体制の転覆につながるほどには広がりませんでした。
さらにドイツでは教育の普及も進み、労働者層の中にも教養を持った層が多く、
彼らは暴力ではなく、理性的な手段での変革を望む傾向がありました。
これに対してロシアはどうだったかというと、
マルクスが生きていた19世紀から20世紀初頭にかけて、ロシアはまだ農業中心の社会であり、産業化も十分には進んでいませんでした。
多くの人々が貧しい農奴のような状態に置かれ、極めて強い不満を抱えていたのです。
加えて、政治的にはロシア帝国が専制的な体制を敷いており、
議会制度も未発達で、民衆にはほとんど政治参加の手段がありませんでした。
自由な言論も制限されており、政府に対する批判は即座に弾圧の対象となりました。
そのため、穏やかな改革という選択肢が事実上存在せず、不満のエネルギーが一気に爆発する土壌があったのです。
こうした状況の中で登場したのがレーニンでした。
彼はマルクスの思想を受け継ぎつつも、ロシアという特殊な状況に合わせて理論を大胆に変化させました。
マルクスは、資本主義が成熟した先進国で革命が起こると予想していましたが、
レーニンはそれをロシアのような後進国でも起こせると考え、実行に移しました。
彼は少数の職業的革命家による前衛政党を作り、民衆を指導しながら権力を掌握するという道を選びました。
実際、第一次世界大戦によってロシア社会はさらに疲弊し、
国民の間に政府への不満が高まり、そこへレーニンのボルシェビキが革命を起こし、
1917年のロシア革命が成功したのです。
つまり、ドイツとロシアでは国民の置かれた状況、社会の成熟度、政治制度の整備度、教育の普及状況など、あらゆる点が異なっていたため、同じマルクスの理論を元にしても、まったく違う展開となったのです。
ドイツでは徐々に社会民主主義が支持を集め、議会制民主主義の中で社会的な改善が行われていきました。
一方のロシアでは、既存の体制があまりに硬直していたため、一気に権力を奪い取るしかなかったのです。
そしてレーニンは、そのためにマルクスの理論を現実に合わせて柔軟にアレンジしました。
ですから、学生運動のML派がマルクスとレーニンの思想を一体のものとして学び、
ロシア革命のような変革を理想としたのは理解できますが、
実際にはマルクスの生まれたドイツでは、そのような急進的な革命は時代と社会にそぐわなかったということなのです。
歴史の流れは単に理論だけで動くのではなく、その土地の状況や人々の意識に大きく左右されるのです。
マルクスの思想は確かに世界を変える力を持っていましたが、
その実現の形は場所によってまるで異なりました。
ドイツでは穏やかな改革という形で、ロシアでは急進的な革命という形で。そして日本の学生たちは、そのロシア式の革命に熱狂したのです。
現実は、いつも思想だけでは説明しきれない複雑なものだということが、
そこから見えてくるのではないでしょうか。
では よく耳にする マルクスレーニン主義 そもそもは?
に話は、、
明日に続く、、、。