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社長&顧問ブログ

2024.2.11

ドクター・バナードス・ホーム

 

高光産業株式会社 妹尾八郎です

 

昨日からの続きです。

 

昨日までは

占領下の日本で 孤児が生まれる中 彼らを助けるべく

澤田美喜さんが 孤児院設立を決意した話から

美喜さんの 生きざまについての話でした。

 

彼女は 名門岩崎家の生まれで 学校も名門の お茶の水に進学しました

さらに なんと家庭教師が 津田梅子さんだったと言うのも凄い事だと思います

 

美喜さんは 学生時代に聖書に触れた事で 意識が大きく変わったようです。

 

そして 20歳になった時に お見合いをすることになるのですが

その時 出会ったのが ギャングスターズ創立メンバーの澤田久雄さんのお父様である

澤田廉三さんだったのです

廉三さんは 美喜さんより 13歳も年上の外務省の外交官でした

 

歳はかなり離れていましたが なんと廉三さんは 当時としては珍しくクリスチャンだったのです、 しかも外交官ですから その洗練された姿に惚れて 結婚を決意したそうです。

 

当然外交官の奥様になるわけですから 海外でも生活するようになります

そして 最初の赴任地の ブエノスアイレスで大統領夫人や海軍大臣夫人などとの

交流も始まるのですが

その時に 大臣夫人から

「戦争はいけません。一番悪いことです。戦争は負けた国の人も、勝った国の人も惨めにします」

と言われた言葉は、美喜の心に深く刻まれたそうです。

 

多くの外国生活の中で、美喜にとってもっとも強い影響を受けたのがイギリスでした。

イギリスでは女性たちの育児に対する認識がとても高く、

子どもの教育はすべての社会人の責任と考えられていました。

子どもであろうと、独立心を養うために自分のことは自分ですることが習慣化されており、大人と同じように会話に入れて話をさせるなど子どもの人格が尊重されている国だったのです。

 

そのイギリス生活の中での日曜日の礼拝のあと、

司祭に紹介された老婦人の誘いでドライブに出かけた彼女は、やがて森の中の大きな石造りの建物にたどり着いたのです。

立派な建物だったので 貴族の家かと思って

「ここはどなたのお屋敷でしょう?」と尋ねたところ

その老婦人から

「ドクター・バナードス・ホームという孤児院ですよ、ミセス・サワダ」

との答えが返ってきたのです。

 

ここで美喜が目にしたものは、

それまで抱いていた孤児院のイメージとはかけ離れたもので、

暗い表情をしている子はひとりもなく、みな清潔な衣服を身に着けていたのです。

 

礼拝堂からは讃美歌のメロディーが流れ、その清澄な声の響きに心が洗われるように感じたのでした。

園内には小学校から中学、高校までの学校施設があり、職業訓練まで行っていました。

18歳でここを出るときには、翌日から就業できるだけの技能が身につくように指導しているのでした。

この施設に興味を持った美喜さんはそれから毎週木曜日、

奉仕としてこのホームへ働きに行くことにしたのです。

 

それはここで働くことはこの上ない喜びであることを実感したからだったのです

人を幸せにすることの喜び。それまでの与えられる幸福より、

人に与える幸福の方がどれほど大きな喜びであるか、

美喜さんは初めて知ったと後年語っています。

 

この経験をした美喜さんが

その後 日本にもどって 何を行う事にしたのか???

 

話しは

 

明日に続く、、、、。

 

高光産業株式会社

www.takamitsu.com