EXECUTIVE BLOG
2025.7.4
高光産業株式会社
妹尾八郎です。
昨日まではソ連のスターリンの話しでした。
今日は ロシア革命を成功させたレーニンの話に進みます、、、
20世紀の歴史の中で、大きな影響を与えた人物といえば、
ヒトラーやスターリン、毛沢東などがよく知られています。
彼らはいずれも強い権力を持ち、国の仕組みを自分の思うように動かし、
多くの人々を従わせました。
けれども、その一方で、ロシア革命を成功させたレーニンのことは、
「独裁者」として語られることが少ないように思われます。
なぜレーニンは、他の3人と違って、そこまで厳しい評価を受けにくいのでしょうか??
その理由を考えるには、まずレーニンの生き方や考え方を見てみる必要があります。
レーニンもまた、1917年にロシアで革命を起こし、ボリシェヴィキという勢力を率いて政権を取りました。その過程で、反対意見を持つ人たちを排除し、新聞や言論の自由を制限するなど、かなり厳しいやり方を取ったこともあります。
反対勢力には「赤色テロ」と呼ばれる弾圧が行われ、政府に逆らう人たちは逮捕されたり処刑されたりしました。
これだけ見ると、レーニンも十分に独裁的だったといえるかもしれません。
それでも彼が「悪の独裁者」として広く知られていないのは、いくつかの理由があります。
一つは、レーニンが自分を神のように崇めさせるような行動をとらなかったことです。
たとえば、街中に自分の肖像を掲げたり、国民に自分を賛美させるようなことはあまり好まなかったのです。
これがヒトラーや毛沢東、スターリンのように個人崇拝を進めた人たちとは大きな違いです。
もう一つの理由は、レーニンが政権を握っていた期間が短かったことです。
彼が政権を取ったのは1917年でしたが、その数年後には病気になり、
1924年には亡くなってしまいます。
つまり、わずか5〜6年ほどしか政権にいなかったのです。
スターリンが30年近く、毛沢東も30年ほど、ヒトラーが12年間政権を握っていたことを考えると、レーニンには長期的な独裁をつくる時間がなかったとも言えるでしょう。
そしてもう一つ大きな特徴は、レーニンが理論家でもあったことです。
彼は、カール・マルクスが書いた資本主義や社会主義についての理論を
現実の世界で実現しようと考えていました。
その考え方は「レーニン主義」とも呼ばれます。
レーニンは、資本主義の国が自然に社会主義になるのを待つのではなく、
しっかりした組織を持つ革命家の集まり、つまり「前衛党」が労働者たちを導いて、
意識的に革命を起こすべきだと考えました。
そして革命が成功した後も、しばらくは国家の力で社会を引っ張っていく
「プロレタリア独裁」が必要だとしました。
これは、自由や民主主義を一時的に制限してでも、理想の社会に向けて進むための道だと信じていたからです。
このような理論に基づいて行動していたレーニンですが、実際の政治では意外と柔軟なところも見せていました。
たとえば1921年には「新経済政策(NEP)」という新しい制度を導入しました。
これは、国家がすべての経済を管理するのではなく、一部の商売や農業を自由にさせて、
ロシアの疲れきった経済を立て直すためのものでした。
このようにレーニンは、理論にこだわりすぎるのではなく、
その時の国の状況を見ながら対応する現実的な判断もできる人だったのです。
では、もしレーニンが長生きしていたら、どうなっていたのでしょうか???。
その答えは一つではありませんが、多くの歴史家が注目するのは、
スターリンの登場を防げたかもしれないという点です。
実は、レーニンは晩年にスターリンのやり方をとても危険だと感じていて、
書記長の役職から外すべきだと周囲に伝えていました。
スターリンは権力欲が強く、乱暴で自分の思い通りに物事を進めたがる性格だったため、
レーニンは彼を信頼していなかったのです。
もしレーニンがもう少し長く生きていれば、スターリンを政権の中枢から遠ざけることができたかもしれません。
そうなれば、1930年代に起きた大粛清や、何百万人もの農民が犠牲になった強制農業化などの悲劇も起こらなかった可能性があります。
また、レーニンが導入したNEPが続いていれば、経済の発展ももっと穏やかで安定したものになっていたかもしれません。
レーニンは、国際的な革命にも強い関心を持っていて、他の国でも社会主義の革命が起きることを期待していました。
スターリンのように一国だけで社会主義を完成させようとする考え方とは違い、
レーニンが生きていれば、他の国とのつながりをもっと重視した政策が進められていたかもしれません。
ただし、レーニンも決して優しい指導者だったわけではありません。
反対派を弾圧し、秘密警察を作って監視体制を整えるなど、強い統制を行っていたことは事実です。
ですから、彼が長く政権にいたとしても、自由な選挙や複数の政党が共存するような民主主義が実現していたとは考えにくいでしょう。
それでも、スターリンのように何百万人もの人が命を落とすような政治ではなかったと思われます。
まとめると、レーニンが長く生きていたら、スターリンのような恐怖政治は避けられたかもしれませんし、もっと理論に基づいた落ち着いた国家運営がなされていた可能性があります。ただし、それは決して自由な社会になるということではなく、
あくまで「理想の社会をつくるための強い政治」が続いていたことでしょう。
レーニンの考えには、人々が平等に生きるためには、ある程度の犠牲や我慢も必要だという信念がありました。
だからこそ、彼は今でも「革命の父」として尊敬される一方で、
その道のりに犠牲が伴ったことも忘れてはならないのです。
レーニンの死後、その思想はスターリンに引き継がれたように見えますが、
実際には大きくゆがめられた部分も多くありました。
もしレーニンがあと10年、いや5年でも元気に政治を続けていたら、
ソ連も世界も、少し違った歴史を歩んでいたかもしれませんね。
では 彼等に影響を与えたと言われるあの人は???
の話は、、、、
明日へ続く、、、。