EXECUTIVE BLOG
2022.9.26
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日は 戦陣訓の話から
A級戦犯で処刑された 松井岩根大将の話になってしまいました。
松井岩根大将は ヒトラーと同じような評価を受けて
極東軍事裁判で処刑されてしまいました。
その原因となったのが 南京大虐殺事件の首謀者とされてしまったからなのでした。
そもそも 松井大将の持論は 日本は中国と仲良くして 欧米列強の植民地政策から
アジアを守るという主張をされていた方ですし
自分の意に反して始まった 日中戦争における 戦没者の慰霊碑を自費で建立し
日中の兵士差別なく祀っており 毎日 参拝を行っていた方なのです。
戦後蒋介石が残した言葉に
松井大将の事を、
あれほど支那を愛し、孫文の革命を助け、孫文の大アジア主義の思想を遵奉したばかりか、留学生当時から自分(蒋)を庇護し、面倒を見て下さった松井閣下に対して何らむくいることも出来ず、ありもせぬ「南京虐殺」の冤罪で刑死せしめた。
と言っていたそうで、
この話をするたびに涙を流していたそうです。
そもそも日本国には、
日露戦争の時から敵国の慰霊を行ってから日本兵の慰霊をしていたという歴史があるのです。
さらに 当時の米国南京副領事は文書で
「南京に日本軍がきてくれたら平和になる、治安がよくなるのではないかという期待感があった」とも記しているのです。
当時の写真や新聞には日本兵がキャラメルを配る写真など、
大虐殺とは全く逆の証拠が残っていますし、
中国人が「中国兵が逃げて行ってよかった」と喜んでいる証拠写真なども示されていました。
にもかかわらず
極東軍事裁判では
中国では日本軍によって30万人が虐殺されたということが「事実」とされてしまい、
その首謀者が松井大将とされてしまったのです。
日本軍が南京に攻め入った時点で南京にいたのは20~25万人ほどでしたから
30万人の虐殺があったという事はあり得ない事なのです。
松井大将をはじめ、多くの証人の方々が東京裁判のなかで南京大虐殺がなかったことを証言しました。
しかし、東京裁判の判事団は日本側の証言を一切受け入れず、
中国側の主張を100%採用してしまったのです。
その結果
最後まで日中連携の理想を掲げつづけた松井大将に対し、
絞首刑という冷酷な判決が下されてしまったのでした。
彼は 絞首刑になる前に 辞世の句を残しています。
「天地も 人も怨まず 一筋に 無畏を念じて 安らけく逝く」
(天も地も人も怨まず一筋に何も畏れず安らかに逝く)、
これが30万人を虐殺したという汚名をきせられた方の辞世の句です。
最後まで 立派な軍人だったと思います。
最近の研究によりますと
大東亜戦争は、日本の侵略戦争ではなく、
欧米の植民地主義からアジアを守ったのが日本であり、
松井大将は中国を守ろうとしていたのです。
連合国が作った東京裁判史観にとらわれることなく、
事実を事実として認識することも平和を考える上で必要ではと、
思ってしまいます。
なかなか 先へ進めませんが
明日は この裁判自体を無意味と説いていた判事の話に進めるのか???
それは????
明日に続く、、、。