EXECUTIVE BLOG
2024.12.31
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは 年賀状の話しでした
戦後の お年玉付き年賀状は 一般人のアイデアで
戦争でなかなか会えなかったかたとのやり取りをするのに
お年玉のオマケを付ける事で 年賀状書きの動機をつけたなんて
なんて素晴らしいアイデアかと思ってしまいます。
年賀郵便とすることで事前に大量の年賀状をさばける様にしたのも
ナイスアイデアだと思います。
で今日は いよいよ 年末の大晦日です
大晦日は、旧年の最後の日であり、翌年を迎えるための重要な日です。
日本の伝統文化では、この日は特に清めや感謝の気持ちを表す日とされています。
また、年末の大掃除を通じて、新しい年を気持ちよく迎える準備を整えることが一般的ですね。
本日は、大晦日ネタで、、、。
年末から大晦日と言いますと 餅つきから 除夜の鐘 年越し蕎麦の
風習がありますね
この風習は ずっと前から続いている 日本の伝統文化だと思います。
しかし これらがいつから始まったのか???をご存知でない方が多いかと思います。
これらの風習 どれが一番古くからある風習かと言いますと
それは 餅つきみたいです これは 平安時代から続いている風習のようです
そして 次が除夜の鐘を撞く風習で 年越し蕎麦を食べる風習は 江戸時代になってから
の様です。
御餅と言う食べ物は 奈良時代にはあったようですが
平安時代に入ると、年間行事がきっちりと定められるようになり、
各行事の際に天皇陛下や貴族たちがお餅を食べるようになったのだそうです。
正月は昔から祝い事ですので その前の年末に餅つきをしたと言う事になり
その名残が現代に受け継がれていると言う事になります。
そして 次が除夜の鐘ですが
「除夜の鐘」は、大晦日の夜の深夜0時を挟む時間帯に、各地の寺院で108回の鐘がつかれることを言います。
「除夜」という言葉の意味は、「除日」の夜のことを言います。
「除」には、古いものを捨て新しいものを迎えるという意味があります。
一年の最後、そして新年を迎える日を「除」の日であるので「除日」、
そして「除日」の夜だから「除夜」とされます。
「除夜の鐘」の起源は中国の宋の時代で、鬼払いのために月の最終日の夜に鐘をついていたものが大晦日だけになり、
鎌倉時代に日本の禅寺へ伝わったとされて、江戸時代には多くの寺で行われるようになりました。
そして 最後の 年越し蕎麦ですが、
年越しそばの起源には諸説ありますが、
そのうちのひとつが江戸時代の中期に食べられていた「三十日そば」です。
商人の家では月の末日にそばを食べる習慣があり、三十日そばと呼ばれていました。
その習慣が年末だけ残り、年越しそばの起源となったと言われます。
江戸では当時流行っていた「脚気」にはそばがいいとの説が広まり、
そばの人気が高まりました。明治・大正時代になると、うどん文化の大阪でも年越しそばが食べられていたようです。
地方によって違いもあり、東北地方ではお正月にそば打ちする「祝いそば」の風習や、
香川では年越しそばの代わりに年越しうどんを食べる家庭もあります。
又 沖縄では 沖縄そばと食べると聞いていますが 如何でしょうか?
年末の風物詩の 餅つき 除夜の鐘 年越し蕎麦も
その起源と意味を考えるといろいろ見えてきて面白いですね、、、
今年も 本年で最後で
元日から続けているこのブログもも今日まで 一日も休まず続ける事が出来ました
来年も 常識に囚われる事なく 色々な見方で色々な事に興味を持って行きたいと思います。
本年は大変お世話になりました
ありがとうございます。
2025年も宜しくお願いいたします。