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社長&顧問ブログ

2025.7.6

学生運動

高光産業株式会社

妹尾八郎です。

 

昨日までは マルクス主義の話しでした

日本では 戦後昭和45年頃 マルクス主義を掲げた学生が学生運動を行っていました。

彼等は本気で革命を目指していたのか? 何故終息したのか???

の話に 進みます、、、、。

 

戦後日本の昭和45年前後、つまり1970年前後の頃、

日本各地の大学では学生たちの運動がとても活発になっていました。

当時の空気を知らない世代にとっては、なぜそんなにも学生たちが熱くなっていたのか、

不思議に感じるかもしれません。

 

けれど、戦後の日本は敗戦からの立ち直りの中で、

政治や社会のあり方を問い直すような時代に差しかかっていたのです。

 

戦後直後の混乱を経て、経済は高度成長期に入り、物は豊かになっていく一方で、

戦争責任や民主主義、平和憲法、アメリカとの関係、

労働や貧困、教育のあり方など、

さまざまな課題が山積みになっていました。

 

そんな中で、若者たちは「このままの社会のかたちでいいのだろうか」

と考えるようになったのです。

特に大学生たちは、知識を学びながらも社会の矛盾に気づき、

「学んだことを社会に生かすにはどうしたらいいのか」

「自分たちの未来を誰かに決められてよいのか」

というような思いを抱えていました。

 

彼らの多くは、単なる反抗心だけではなく、

真剣に理想の社会を求める気持ちをもって運動に参加していたのです。

 

その背景には、マルクス主義やレーニン主義などの思想もありました。

これらは19世紀から20世紀初頭のヨーロッパで生まれた政治思想で、

簡単にいえば

「資本主義ではなく、労働者が平等に暮らせる社会を目指そう」

という考え方です。

 

日本でも戦後、こうした思想は広く紹介され、

特に大学の教養課程などで多くの学生が触れるようになっていました。

学生運動に参加していた若者たちの中には、これらの思想に感銘を受け、

自分たちの運動にそれを取り入れようとした人たちもいました。

 

ただ、すべての学生が深く理論を理解していたとは限りません。

「資本主義は悪い」「アメリカに従属するのはおかしい」

といった感情的な反発や、

「体制に反抗することが格好いい」「自由を求めることが正しい」

という思いから運動に加わった人も多かったのです。

つまり、理論よりも情熱が先に立っていた面もありました。

 

当時の学生運動は、

大学の学費問題や授業の内容、管理体制に対する不満から始まりましたが、

やがて「大学の自治」や「日米安保反対」「ベトナム戦争への日本の加担反対」

といった、より大きな政治課題に目を向けるようになります。

 

特に1960年と1970年の「安保改定」をめぐっては、

全国で激しいデモや抗議行動が行われ、多くの学生が機動隊との衝突を繰り返しました。

 

東京大学をはじめ、多くの大学で「全共闘」と呼ばれる学生組織が生まれ、

「大学解体」などをスローガンに掲げて、学内の建物をバリケードで封鎖するなど、

過激な行動をとるようにもなっていきました。

これに対して、社会全体の目は次第に厳しくなっていきます。

 

もともと「理想を求めて立ち上がった運動」だったはずが、

徐々に内輪の対立や思想の違いから分裂が生まれ、

セクトと呼ばれる小さな派閥に分かれて、互いに批判しあったり、

時には暴力的な衝突を起こしたりするようになります。

 

仲間どうしでさえ意見が割れ、運動の方向性が定まらなくなっていきました。

さらに、警察の取り締まりが強化され、多くの学生が逮捕されるようになりました。

 

世間の目も冷たくなり、「学生運動=過激派=迷惑な存在」

といったイメージが広まっていきました。

家族や友人との関係が壊れたり、就職が難しくなったりと、運動の代償は大きく、

やがて多くの若者たちは、現実の社会に戻っていくことを選ぶようになっていきます。

 

また、日本社会全体が高度経済成長を通じて、

豊かさを手に入れるようになったことも、

運動の終息に影響しました。

冷蔵庫やテレビ、車が家庭に入り、誰もが中流意識を持ち始めた時代、

「革命」や「闘争」といった言葉よりも、

「安定」や「生活の向上」

のほうが現実的な目標になっていったのです。

 

学生運動に参加していた若者たちも、卒業後は社会に出て、

企業で働き、家庭を築くようになっていきました。

 

つまり、社会が落ち着いてきたことが、

自然と運動のエネルギーを吸収していったとも言えるのです。

 

学生運動の火は完全に消えたわけではありませんが、

昭和50年代に入る頃には、その勢いは大きく後退し、

社会の中で特別な存在ではなくなっていきました。

 

けれど、あの時代の若者たちが社会や政治に真剣に向き合い、

自分たちの言葉で「おかしい」と叫び、

体を張って表現しようとしたその姿は、

今の時代から見ても決して否定されるべきものではないと思います。

 

たとえ失敗に終わったとしても、理想に向かって声をあげることは、大切なことです。

そしてそれは、時代や場所を越えて、次の世代にも問いかけを残しているのではないでしょうか。

 

何が正しかったのか、何が間違っていたのか。

一人ひとりが考え続けることで、

あの時代の経験もまた、新しい意味をもってよみがえってくるのだと思います

明日は 同じ運動に参加していた同士が

内ゲバとよばれる事を犯したりしてました。

 

明日はそのあたりの話に

続く、、、、、。のか?

 

高光産業株式会社 公式サイト

https://takamitsu.com/

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