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社長&顧問ブログ

2019.11.6

日本海海戦

高光産業株式会社 妹尾八郎です

 

昨日からの続きです。

 

薩摩の話も大詰めを迎え

いよいよ 日露戦争最大の決戦 日本海海戦の話になります。

 

 

今一度日本海海戦を振り返ってみますね。

 

私は歴史研究家でもなので 正確な事はお伝え出来ませんが

教科書だと「バルチック艦隊に勝ちました」の一行で済まされてしまいますよね。

 

まるで「来た、見た、勝った」かのような扱いですけれど、この勝利を収めるまでには並々ならぬ下準備、そしてそれだけではない偶然の味方などがありました。

 

前年に始まったこの戦争は、旅順という要塞を攻略するまで一進一退の状況でした。

その後、陸軍が方針を変え、203高地と呼ばれていた山を占拠、砲撃を行ったことにより旅順の攻略に成功します。

いわゆる”旅順攻囲戦”です。

 

さらには奉天というところで再び両国の陸軍が激突し、多くの損害・死傷者を出しながらも日本が勝ちました。

 

ここまでで日本側は人も物も大量に消費しており、近いうちに戦争を続けるのは難しくなるであろうことがわかってきていました。俗な言い方をすればジリ貧状態です。

 

そのため、できるだけ間をおかずに決定的な勝利を収めることが必要でした。

 

しかも、旅順攻略中にイヤな知らせが届いています。

それは「世界最強の艦隊がこっち来る」というもの。

 

ロシアの西側の端っこ・バルト海から出航したため”バルチック艦隊”と呼ばれています。

聞き覚えのある方も多いでしょうから、以下こちらで呼びましょう。

 

ちなみに日露戦争の部隊である極東付近にはまた別の艦隊がいましたので、

もし合流されたら軍どころか日本の国土丸ごと挟み撃ちになります。

 

そして日本側が物理的にも精神的にも滝汗状態のころ、同時進行でやってきます。

 

バルチック艦隊です。

 

このバルチック艦隊を撃破した作戦が

東郷ターンでした。

 

世界史上でも稀有の大成功を収めた「東郷ターン」です!

丁字またはT字戦法とも呼ばれます。

平たく言えば「敵艦の進行方向を遮るように進み、一斉砲撃する」というものですが、海戦の性質を考えるととんでもなく難度の高い戦法なのです。

 

主な理由は二つあります。

 

一つは、船が攻撃できる方向について。

 

歩兵や騎馬、戦車であれば基本的に正面(進行)方向へ攻撃するのが一番なのですが、船の場合は真逆。

進行方向に対して左右が一番攻撃力が高まります。

 

弓を構えるにしても銃や大砲で撃つにしても、細かい動きのできない船で進行方向に向けてしまうと、船の後ろの人が目の前の人を攻撃してしまうからです。

 

もう一つこの戦法の難度を上げているのが、海の上であるということです。

 

お互いに移動を続けるのは陸戦でも海戦でも同じですが、海の場合これに風向きや波の高さが加わります。

陸上なんかより、はるかに複雑な動きが必要となります。

 

そんな状況で、敵に真横を向けつつ正確に移動する……なんて芸当をキメるのはほとんど不可能に近いといわれていました。

ヘタをすれば敵艦に激突されて自艦が沈む”だけ”という結果になるかもしれません。

 

ですので、この戦法はほぼ理想論であって実用性はほぼ皆無、やるだけ無駄、やっても返り討ちに遭うだろうというのが常識でした。

 

実際、このときの戦いで、日本海軍がそんな動きを始めたとき、バルチック艦隊は

「日本軍はヤケクソになってるんだなwww 俺らの勝利www」

と信じて疑わなかったそうです。

そのくらい成功率が低いと思われていたんですね。

 

しかし、このときの日本海軍はそれを見事やってのけました。

 

攻撃自体は大成功。

わずか30分ほどでバルチック艦隊の戦力を大幅に削ぎ、散り散りになった船に対して各個追撃や挟撃で対処したのです。

 

さらには日没後も夜襲をかけ、世界最強と謳われた艦隊を見事打ち破ったのでした。

 

普通ではありえない作戦をここでもとったのです

 

まさに関ヶ原の敵中突破のような作戦です。

 

そして

 

日露戦争で、日本は一応の勝利を得ます。

 

幕末の開国から50年程度でロシアに一応勝ったことで、世界の見方が変わりました。

 

特に植民地にされていたインドや東南アジアからは

【アジア人の初勝利】

として後の独立運動の気運へと繋がるのです。各国の独立が実現するのは第二次世界大戦後になりますが、日露戦争における日本勝利を称える詩が作られたりもしました。

 

日露戦争は、日本の勝ちなのです。

 

世界で始めて、有色人種の国が、白色人種の国に勝ったのです。

 

弱いものが強いもの飲み込まれてしまう弱肉強食といわれていた時代のことです。日本は、自分よりも十倍も大きな相手に打ち勝つことができたのです。そして、自国民を守ることができたのです。

 

日露戦争の結果について、当時の世界各国の有名な人の言葉や賞賛の様子をいくつか紹介します。

 

・インド独立の父 ネール十四歳のとき

「日本の戦勝は、わたしを熱狂させた。新しいニュースを見るために毎日、新聞を待ちこがれた。わたしが剣をとってインドのためにたたかい、インドを独立させた英雄になることを夢見た」

 

・インド革命家 ビハリ・ボース

「東洋は、この戦勝によって目覚めた。トルコをはじめ、フィリピンまでも東アジア民族が立ち上がろうと希望をもったことは、歴史の事実だ」

 

・中国革命の父 孫文

「日本が、一弱小国でありながら、がんばって強くなり、ロシア帝国を打ち破ることができたことは、わたしの精神に最も大きな刺激を与えた。そこで、母に許しを願い、日本で学ぶことにした」

 

・エジプト民族運動の指導者 ムスターファ・カミール

「日本人こそは、ヨーロッパに身のほどをわきまえさせてやった、ただ一つの東洋人である」

 

・フィンランド・スウェーデン

日本の勝利に喜び、「トーゴービール」というビールを作った。

 

・アメリカの黒人たち「カラード・アメリカン・マガジン」という雑誌

「日本の行動の最も重要な点は、アジアとアフリカに考えるべききっかけを作ったことだ」

 

・アメリカのある公民権運動家

「日本が白人優位の人種神話を葬り去った」と全米で演説

 

オックスフォード大学講師アルフレッド・ジンマー

「本日のギリシャ史の講義は中止する。その理由は、現代の世界で起こった、あるいは、これから起こると思われる歴史的に最も需要な大事件について、みなさんに話をしなければならないからである。」

 

 

 

どうですか、皆さん。世界中の人々が日本の勝利にびっくり仰天し、わくわくしているのがわかります。

 

ここで、もし、日本が負けて、ロシアの植民地にされていたらどうなっていたでしょう。

 

日本人は差別を受け、奴隷にされていることでしょう。

日本は存在していないかもしれません。想像しただけで恐ろしくなります。

 

それを食いとめるために兵士たちは、一丸となって戦いました。

自分の命を顧みず、国を守るために戦いました。多くの犠牲者も出ました。

 

兵士ばかりではありません。日本中がひとつにまとまって、協力したから勝てたのです。

そのおかげで今の日本があるのです。

 

わたしたちは、先人たちに、感謝しなければなりません。

 

日本の奇跡の勝利は、当時、白人から支配されていた有色人種に大きな、大きな夢と希望を与えた出来事であったといえます。

 

日露戦争も話も 薩摩の関ヶ原での戦い 宝暦治水の薩摩藩の話につながりますよね

 

そして この常識に囚われない話が 高光産業ITへの道と繋がるのですから

話は 逸れまくりましたが 根は繋がっていると言うことです。

 

では

 

明日からは 本論に戻れるのか??

 

 

続く、、。

 

 

 

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