EXECUTIVE BLOG
2025.7.1
高光産業株式会社
妹尾八郎です。
昨日までは 紅衛兵と人民解放軍の話しでした。
恥ずかしい顰蹙を買う話かもしれませんが
20年前位まで 中国は 人民服を着た人たちが 毛語録を持って歩いているのではと
思っていました。
所が実際行ってみますと 人民服を着た人などはおらず 毛語録を持っている人など
見かけた事もありません。
それまで 中国の人は アラブ社会のコーランの様に 毛語録を聖典として崇めているのかと勘違いしていました。
今日は この話に進みます、、、、。
「毛語録」とは、正式には『毛主席語録』と呼ばれ、毛沢東の思想や言葉を集めた本です。
特に1960年代後半から1970年代にかけての中国では、
この毛語録が人々の心のよりどころになっていきました。
ただの本ではなく、まるで宗教の聖典のように扱われ、国民は日々この本を開き、
そこに書かれた言葉を唱え、自分の行動や考え方を正していくことが求められたのです。
当時の中国では、毛沢東の存在そのものが「絶対的な導き手」であり、
毛語録はその「正しい生き方を教えてくれる指南書」となっていたのです。
この本の中には、
「革命とは暴力を伴うものである」「人民こそが歴史の創造者である」
「手を汚すことを恐れるな」などの言葉が並んでいます。
たとえば、「革命は晩餐会ではない」という言葉は、
革命というものは穏やかなものではなく、時に激しく、
痛みを伴うものであると説いています。
また、「人民に奉仕せよ」という思想は、
一見すると市民の味方のように聞こえますが、実際には「共産党の指導に絶対に従うべきだ」という考え方に結びついていました。
つまり、毛語録の言葉は、表面的には美しい理想を語っているように見えながら、
実際には国全体を一つの方向へと強く押し進める力となっていたのです。
当時、中国の人々は毛語録を毎日読み、学校や職場ではその内容を朗読することが習慣になっていました。
先生や上司だけでなく、子どもからお年寄りまで、皆がこの本を手にして
「これは正しいことだ」と信じ、時にはその言葉を使って他人を批判したり、
自分を鼓舞したりしていました。
特に若者たちの中には、
毛語録の言葉を頼りに「悪と戦う正義の味方」のような気持ちになって行動する人も多く、紅衛兵と呼ばれる青年集団はその代表でした。
彼らはこの語録を片手に、学校の先生や知識人、あるいは親や近所の人にまで
「革命的でない」と非難し、時には暴力もともなう激しい行動をとることがありました。
また、毛語録には
「肉体労働を大切にしよう」「自分たちの力で国を発展させよう」というような、
自立や勤労を重んじる言葉もあります。
こうした考え方は、都会の知識人たちに対する批判として現れ、
「頭でっかち」よりも「手を動かす農民や労働者こそが偉いのだ」という価値観が社会に広がっていきました。
その結果、多くの若者たちが都市から農村へ送り出され、
「再教育」という名のもとに、農作業や肉体労働に従事することになりました。
これはまさに、毛語録の言葉をそのまま実践しようとした現れでもあります。
このように見ていくと、毛語録は単なる「いい言葉集」ではなく、
「こう考え、こう行動せよ」という強いメッセージを持つものであり、
国家全体の考え方や人々の暮らしに深く根付いていました。
興味深いのは、毛語録がイスラム教の『コーラン』のような存在であったという点です。
イスラムのコーランは、神の言葉とされ、
日常のルールや道徳、信仰の基準として扱われます。
同じように、毛語録も
「毛主席の教えこそが正しい」「毛主席の言葉に従えば間違いない」という信仰のような扱いを受けていました。
人々は語録の一節を暗記し、集会ではそれを唱え合い、職場や学校では毛主席の肖像の前でその言葉を朗読することもありました。
まるで祈りのように、毛語録を声に出して読むことで、自分たちの行動に正しさを与え、
社会の一員としての自信と誇りを感じていたのです。
こうした状況は、宗教を持たない社会で起きた「新しい信仰のかたち」とも言えます。
毛語録は、「毛沢東の言葉」という政治的メッセージを通じて、
人々の心を一つにし、国家の方向性を統一するための強力な道具でした。
そしてそれは、信じること、従うこと、唱えること、行動することによって、
個人よりも国家や集団が優先される社会を形作っていきました。
このような「毛語録信仰」が広まる中で、言論の自由は制限され、異なる考え方を持つ人々は「敵」と見なされ、排除されていきました。
「あなたは語録に反していないか?」といった疑念の目が日常に広がり、
人々は常に自分の言動に注意し、周囲に合わせることを強いられたのです。
しかし一方で、このように思想を一つにまとめ上げたことで、
中国は当時の混乱の中でも一定の「統一感」を保つことができたとも言われています。
つまり、個人の自由は犠牲になったものの、社会全体としては毛沢東という象徴のもとに、方向性を失わずに進むことができたという側面もあるのです。
最後に、毛語録とは何だったのかを一言で言うならば、
「信じさせることで国を動かした言葉の力」と言えるでしょう。
人々はその言葉に従い、日々の行動を正し、時に他人を非難し、自らを鼓舞しました。
それは一つの思想であると同時に、国家を支配するための強力な道具でもありました。
毛語録は過去の遺物ではなく、
今もなお「言葉がどれだけ人々の心を左右するか」を考える上で、
大切な教訓を与えてくれる存在だと思います。