EXECUTIVE BLOG
2025.6.5
高光産業株式会社
妹尾八郎です。
昨日までは 京都清水寺の話しでした。
観光で京都を訪れたら殆どの方が行かれたことがあります。
しかし その清水寺の宗派も知らず 舞台の由来も知りませんでした。
今日は 清水寺の舞台の話に進みます、、、、。
「清水の舞台から飛び降りる」という言葉は、
日本語の慣用句として、思い切った決断や大胆な行動をすることを意味します。
たとえば、仕事を辞めたり、人生を大きく変えるような決断をするときに、
「清水の舞台から飛び降りるつもりで決めた」といった使い方をされますね。
この言葉の元になっているのは、
京都の東山にある有名な寺、清水寺の本堂にせり出した「舞台」だと言う事は有名な話です。
この舞台は、急な崖の上に釘を一本も使わずに建てられた伝統的な「懸造(かけづくり)」という建築技法によって造られ、地上からの高さはおよそ12メートルもあります。
現在では安全のための手すりが設置され、当然ながら飛び降りることなどできませんが、
実は江戸時代にはこの舞台から本当に飛び降りた人がいたという記録が数多く残っているのです。
当時、一部の人々の間では「清水の舞台から飛び降りれば願いが叶う」という信仰があり、命をかけて飛び降りた人たちがいたのです。
江戸時代中期に編纂された地誌『都名所図会』には、
「月に一人二人が飛び降りることがある」といった記述もあり、
決して珍しい行為ではなかったことがうかがえます。
意外にも、当時の記録によると飛び降りた人の約85%は生存したとされており、
それは舞台の下が斜面になっていて木々や柔らかい地面に衝撃が和らげられたからと考えられますが、もちろん大怪我や死亡した例もありました。
中には京都の町人や商人の若旦那、旅人など、名前が記された記録もありますが、
現代でいう有名人、つまり歴史上の著名人物が飛び降りたという確実な記録はありません。
ただし、江戸時代の浮世草子や戯作などの娯楽文学、さらには歌舞伎や浄瑠璃の中では、
清水の舞台から飛び降りるという場面がしばしば描かれ、
人々の印象に残る象徴的なモチーフとなっていました。
特に「お梶」や「お初」などの女性が悲恋や運命を変えるために清水の舞台から飛び降りるという筋書きは、当時の観客に大きな感動を与えたようです。
さて、この「舞台」という言葉ですが、
現代では芝居をする場所というイメージが強いかもしれません。
しかし、清水寺の舞台は演劇とは直接関係がありません。
なぜ「舞台」と呼ばれるのかというと、
それは仏教寺院における儀式や法要を行うための「宗教的な空間」としての意味での
「舞台」だからです。
清水寺の本堂は、
本尊の観音菩薩に向かって参拝するための神聖な空間として設計されており、
内陣と呼ばれる仏像の安置された聖域の前に、広く張り出した外陣が設けられていました。
その外陣が谷の崖にまで張り出した部分こそが、いわゆる「舞台」であり、
ここで僧侶による読経や声明などの宗教儀式が行われていたのです。
古くから「舞台」という言葉は、
神仏への奉納儀式を行うための高床構造を意味する場合も多く、
伊勢神宮の神楽殿や春日大社の能舞台なども、同様の宗教的文脈での「舞台」と言えます。
したがって、清水寺の舞台もまた、観音様に願いを届けるための神聖な場として、多くの人々にとって重要な意味を持っていたのです。
つまり、舞台とは単なる建築物ではなく、人々の祈りと決意が交差する象徴的な空間であり、その高さと崇高さが相まって、「ここから飛び降りる」とは
「人生を賭けた大きな決断」を意味するようになったのでしょう。
現代では実際に飛び降りることは不可能ですが、
その言葉の背景には、
本気で願いを叶えたいと命を懸けた人々の姿があったということを忘れずに、
「清水の舞台から飛び降りる」という表現を味わいたいものです。
次回清水寺に行った時には じっくりと見学してみたいと思います。
明日は 京都と言えば やはりあそこですね、、、、
その話しは、、
明日へ続く、、、、。