EXECUTIVE BLOG
2025.6.6
高光産業株式会社
妹尾八郎です。
昨日までは 清水寺ん話しから 清水の舞台の話しでした。
何度も足を運んでいたのですが 表面しか見ていなかったので
意味が分かると面白いと思います。
清水寺と同様に 京都に行けば必ず訪れるのは 金閣寺、銀閣寺ですよね、、、
今日は この話に進みます、、、、。
京都を代表する観光地である金閣寺と銀閣寺は、
その名の通り金や銀を連想させる美しい寺として多くの人に知られていますが、
その背景や意味についてはあまり知りませんでした。
金閣寺の正式名称は鹿苑寺といい、銀閣寺の正式名称は慈照寺です。
どちらも禅宗の中の臨済宗相国寺派という禅宗の寺で、
室町時代の将軍が築いた山荘をもとに寺となったものなのです。
金閣寺は三代将軍足利義満によって1397年に建てられた北山殿が前身で、
彼の死後、遺言により禅寺として鹿苑寺と名付けられました。
金閣と呼ばれる建物の二層目と三層目が金箔で覆われており、
それがあまりに有名となったため、金閣寺と呼ばれるようになったのです。
この金色にはいくつかの意味があり、
ひとつには仏教における極楽浄土の象徴としての輝きを表し、
もうひとつには義満が日本国王を名乗るほどの権力者であったことから、
自らの権勢と理想世界を象徴するための装飾としての意味が込められていました。
華麗さと格式を兼ね備えた建築は、まさに彼の栄華を地上に示すものだったのです。
一方、銀閣寺は八代将軍足利義政が1482年に建てた東山殿が起源で、
義政の死後、同じく禅寺として改められ慈照寺となりました。
銀閣と呼ばれる建物には実際には銀箔は貼られておらず、
むしろ黒く落ち着いた外観をしています。
ではなぜ銀閣寺と呼ばれるようになったのかというと、
それにはいくつかの説があり、
ひとつには金閣寺に対する対比として後世に名付けられたという説、
もうひとつには当初は銀箔を貼る予定だったものの財政的な理由などで実現しなかったという説がありますが、
いずれも確証はありません。
ただし、銀閣の最大の魅力はその地味さと静けさにあり、華やかさを持つ金閣に対して、
わび・さびを感じさせる簡素で味わい深い美しさが銀閣にはあります。
義政は政治的には無力とされながらも、
茶道、書院造、東山文化といった日本文化の基礎を築いた人物であり、
銀閣寺はその精神性と美意識を体現する場でもあります。
このように、金閣寺と銀閣寺はどちらも将軍が築いた山荘を起源とし、
禅宗の寺院として発展したという共通点を持ちながらも、
建築の様式や美意識には大きな違いがあり、
金閣は極楽や権力の象徴としての豪華さを、
銀閣はわび・さびの静かな美を、
それぞれ伝えています。
金と銀という色の対比は単なる視覚的な違いだけでなく、
時代背景や人物の性格、理想とする世界観の違いをも示しているのです。
金閣寺が豪華さの象徴であれば、銀閣寺は精神性の象徴とも言えるでしょう。
京都を訪れた際には、この二つの寺をただの観光名所として見るのではなく、
その背後にある歴史や思想、美の感覚に目を向けることで、
より深く日本の文化と心に触れることができるでしょう。
金と銀、その輝きの違いの奥には、
二人の将軍が描いた理想の世界が確かに存在しているのですよ。
京都の話しからなかなか抜けられませんが
明日は 多くの方が京都に行って行うアノ行動について、、、、
それは?????
の話は
明日へ続く、、、、。