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社長&顧問ブログ

2026.2.14

「の」に込められた配慮

高光産業株式会社

妹尾八郎です。

 

昨日までは 教育勅語や紀元節が 何故戦後無くなったのか?

の話しでした、、、。

 

今日は、「紀元節を建国記念の日と考えた人は誰なのか?」。

そして、「建国記念日」ではなく、なぜ「建国記念の日」なのか???。

 

その「の」を入れる発想はいかにも官僚的ではないか、という疑問です。

 

ここには戦後日本の政治と社会の空気が色濃く表れています。

 

戦前の2月11日は「紀元節」と呼ばれ、

初代天皇とされる神武天皇の即位日を祝う日でした。

 

しかし敗戦後、連合国軍総司令部(GHQ)の占領政策のもとで廃止されます。

国家神道と結びついた祝日と見なされたからです。

 

その後、長い間この日は祝日ではありませんでしたが、

1966年(昭和41年)、祝日法の改正によって「建国記念の日」として復活します。

これを成立させたのは当時の 佐藤栄作 内閣です。

 

では、「誰が考えたのか」ですが、、。

特定の一人のアイデアというより、保守系国会議員の働きかけ、

神社関係団体や民間の復活運動、そして政府内の法制的検討が積み重なった結果でした。

いわば政治運動と官僚的調整の折衷の産物だったのです。

 

ここで最大のポイントが名称です。

なぜ「建国記念日」と断定しなかったのか。ですね、、。

 

もし「建国記念日」とすれば、

「日本がこの日に建国された」と国家が公式に確定する意味合いが強くなります。

しかし日本の建国は神話時代にさかのぼるため、

歴史学的に実証できる日付ではありません。

 

戦後憲法体制のもとでは、

国家が神話を歴史的事実として断定することに強い慎重論がありました。

 

そこで採られた表現が「建国記念の日」です。

これは「建国された日」を祝うのではなく、

「建国という事柄を記念する日」とする言い回しです。

 

このわずか一文字の「の」が、

法的にも政治的にも大きな意味を持ちました。

 

断定を避け、象徴的にとどめる。

まさに法制局的、官僚的な言語調整と言えるでしょう。

 

確かに、この発想は理屈を整えるための言葉選びです。

 

しかし一方で、これは単なる逃げではありません。

戦前の紀元節をそのまま復活させれば、

戦後社会の強い反発を招いた可能性があります。

 

逆に、建国を祝うという伝統的な思いを完全に切り捨てれば、

多くの国民感情ともずれてしまいます。

 

その間をどう埋めるか。その答えが「の」だったのです。

 

この「の」は、日本社会の折衷の知恵とも言えます。

 

白か黒かをはっきり決めるのではなく、含みを持たせることで共存を図る。

強く断定せず、しかし完全にも否定しない。

対立を激化させないための柔らかな表現です。

 

そこには、イデオロギー対立を避けようとする戦後日本の慎重さがにじんでいます。

 

ですから、「官僚的だ」と感じるのは自然ですが、

その背景には二つの思いがありました。

 

一つは、国家神話を再び政治的に固定化することへの警戒。

もう一つは、国の始まりに思いを致す心を残したいという願いです。

その両立を図るための言語上の工夫が、「建国記念の日」という名称でした。

 

大切なのは、名称の細部そのものよりも、

私たちが「建国」という言葉に何を感じるかです。

 

祝日の形は時代によって変わります。

しかし、

国の歩みの始まりに思いを向けるという行為そのものが消えたわけではありません。

 

戦前と同じ形で祝うかどうかではなく、

現代の価値観の中でどう受け止めるかが問われているのです。

 

一文字の「の」に込められた配慮は、戦後日本が選んだバランスの象徴です。

 

断定を避けながら、記憶は残す。対立を抑えながら、伝統もつなぐ。

その姿勢をどう評価するかは人それぞれでしょう。

しかし少なくともそこには、

激しい分断を避けようとした時代の模索が確かに存在していたのです。

高光産業株式会社 公式サイト

https://takamitsu.com/

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