
EXECUTIVE BLOG
2026.9.8
高光産業株式会社
妹尾八郎です
昨日は、
今から約20年前、私は、
「相手のメールアドレスを知らなくても、
人と人がつながる仕組みを作れないだろうか」
と考え、
それを特許という形にした話でした。
そして、
その仕組みを学校に応用できないだろうかと考えた時、
一つのものに目が留まりました。
それが、「学籍番号」でした。
考えてみると、学籍番号とは不思議なものです。
学生時代には、それほどありがたいものだとは思いません。
試験を受ける時に書いたり、学校に何かを提出する時に使ったりする。
学生にとっては、自分を管理するために
学校から与えられた番号くらいにしか思っていないかもしれません。
ところが、卒業して何十年も経ってから考えてみると、
この番号には、別の意味があるのではないか
と思うようになりました。
人は生きていく中で、いろいろなものが変わります。
卒業して就職する。転勤する。家を建てる。会社を変わる。
東京から福岡へ移る人もいれば、海外へ行く人もいるでしょう。
住所は変わります。電話番号も変わります。メールアドレスも変わります。
20年前にはLINEはありませんでした。
その前にはスマートフォンさえありませんでした。
ということは、
今私たちが当たり前に使っている連絡手段も、
20年後、30年後にはどうなっているか分かりません。
つまり、
「人と人をつなぐ道具」は、時代とともに変わっていく
ということです。
しかし、一つだけ変わらないものがあります。
「私は、あの学校で学んだ」という事実です。
不思議なものです。
卒業して50年経っても、同級生に会えば一瞬で昔に戻ります。
社会に出れば、それぞれ違う人生を歩みます。
会社の社長になった人もいるでしょう。
先生になった人。商売を始めた人。外国へ渡った人。
そして、
いろいろな苦労を重ねてきた人もいるでしょう。
社会での肩書きは全く違っていても、
「お前、変わらんなあ」と言った瞬間、
そこに社長も部長も先生もありません。
ただの昔の同級生に戻ります。
私は、学校という場所には、それだけ不思議な力があると思うのです。
なぜでしょう。
おそらく、
まだ何者でもなかった時代を、一緒に過ごしたからではないでしょうか。
何者になるかも分からなかった。
将来どこに住むかも分からなかった。
成功するか失敗するかも分からなかった。
そんな時代を一緒に過ごした人たちです。
だから何十年経っても、どこか特別なのだと思います。
私はここで考えました。
昔の卒業アルバムのように、住所や電話番号を全員に公開する必要はない。
メールアドレスも公開しなくていい。LINE IDも必要ない。
必要なのは、
「この人は、確かにこの学校に在籍していた人である」
と確認できる仕組みではないか。
そこで学籍番号に注目したのです。
例えば、
卒業生が母校のシステムに自分を登録する。
学校側で本人確認をしたうえで、本人と学校時代の識別情報を結び付ける。
そして現在のメールアドレスなどの連絡先については、
システムの中だけで管理する。
他の卒業生には公開しない。
ここが大切です。
登録することと、公開することは違うのです。
例えば、分かりやすくするためにこんな場面を考えてみます。
卒業して30年。
昔の卒業アルバムを見ていたAさんが、一枚の写真で手を止めました。
隣に写っているBさんです。
「そういえば、あいつ、どうしているだろう」
久しぶりに話してみたい。
しかし電話番号は分かりません。
住所も分かりません。
メールアドレスもLINEも知りません。
今までなら、ここで終わりです。
ところが、
卒業アルバムなどに個人の住所や電話番号ではなく、
学校時代の識別情報だけが残っていたらどうでしょう。
Aさんは母校のサイトへ行きます。
自分自身が正規の卒業生としてログインする。
そして、
「Bさんに、このメッセージを届けたい」
と依頼する。
するとシステムが、
Bさんが現在登録している連絡先へメッセージを届ける。
しかしAさんには、
Bさんのメールアドレスも住所も表示されない。
BさんもAさんの個人的な連絡先を知る必要はありません。
まずは学校という信頼できる入口を通じて、
メッセージだけが届くのです。
「久しぶり。元気にしていますか」
たった、それだけです。
そしてBさんが、
「懐かしいな。連絡してみよう」
と思えば返事をすればいい。
返事をしたくなければ、しなくてもいい。
それでいいと思うのです。
つながる自由があるのなら、
つながらない自由も守られなければならない。
それが、
これからの時代の人と人とのつながり方ではないでしょうか。
ここで大切なのは、
学籍番号そのものを住所やメールアドレスの代わりとして公開する、
という単純な話ではありません。
学籍番号など学校が管理する識別情報を、
本人確認と、学校との関係を確認するための「鍵」
として活用するという発想です。
実際のメールアドレスや住所は、その向こう側に置いておく。
利用者からは見えない。
つまり、
「誰なのかは確認できる。しかし、その人の個人的な連絡先までは見えない」
という構造です。
私は、約20年前に取得した特許でも似た考え方をしていました。
相手の住所と氏名を手掛かりにシステムがデータベースを照合し、
登録された電子的なアドレスへデータを送る。
送り手は相手のメールアドレスそのものを知る必要がありません。
それならば、
この考え方を学校という信頼できる場所に持ち込めないだろうか。
そう考えたのです。
学生時代、何気なく使っていた学籍番号。
当時は単なる番号だったかもしれません。
しかし卒業して30年、40年、50年経った時、
その番号が、
昔の友人へつながる入口になったらどうでしょう。
さらに面白いのは、
その入口が母校にあることです。
友人に連絡したいから、母校のサイトを開く。
すると、
「校舎が新しくなったんだ」「野球部が頑張っているな」
「この先生、懐かしいな」「創立100周年なのか」
と、自然に母校の現在を知ることになります。
つまり、
友人との縁をたどっていったら、母校との縁にも戻ってきた。
そんな仕組みになるのです。
私はここが、とても大切だと思っています。
学校というところは、卒業証書を渡したら役目を終えるのでしょうか。
私は、そうではないと思います。
人は人生の中で何度も立場が変わります。
学生だった人が社会人になり、社会人だった人が経営者になり、
やがて後輩を応援する立場になる。
母校から何かを与えてもらっていた人が、
いつの日か母校に何かを返せる人になる。
そう考えると、卒業は、学校との関係が終わる日ではない。
むしろ、
学校と新しい関係が始まる日なのかもしれません。
その関係を30年、50年とつないでいく、小さな鍵。
それが学籍番号のような学校時代の識別情報だったとしたら。
学生時代には何でもなかった一つの番号が、
何十年後、
「あの頃の自分へ帰るための鍵」になるかもしれません。
私は、そんなことを約20年前に考えていました。
しかし、ここで次の問題が出てきます。
便利な仕組みほど、悪用する人が現れる可能性があります。
個人情報を隠しただけで、本当に安全なのでしょうか。
むしろ匿名になれば、
嫌がらせや迷惑なメッセージが増えるのではないでしょうか。
私はそこにも、一つの答えがあると思っています。
なぜなら、この仕組みは、
「誰から来たのか分からない匿名の世界」
を作ろうとしているのではないからです。
相手には個人情報を見せない。
しかし、運営する学校側では、
「誰が送ったのか」を確認できる。
ここに、この仕組みのもう一つの大切な意味があります。
その意味とは????
それは?????
明日へ続く、、、、、。