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社長&顧問ブログ

2022.1.2

お年玉ハガキの歴史

高光産業株式会社 妹尾八郎です

 

2022年

一月二日です。

 

昨日からの続きです。

 

昨日は 元日で そのネタとして

年賀状の話になりました。

 

年賀状の文化が SNS等の進化で 利用者が 減っているようですが、

自分が SNSで発信しているにも関わらず

朝になると 郵便受けを見てしまう方も多いのではないでしょうか?

 

そして その時に 思わぬ方からの年賀状がありますと

懐かしくもあり 嬉しくなったりするのではと思います。

 

いつも交流していない方 ご無沙汰している方には まだまだSNSでは

失礼だと考えて 年賀状で対応してる方も多いかと思います。

 

その年賀状のなかでも お年玉付き年賀状はワクワクしますね

 

昨日は このお年玉年賀状を発案した方の話でしたね、

なんと民間人が発案して 郵政省に提案したのが始まりだったとは

知りませんでしたね、

 

この発案をした時に 多分周りの方は そんな事をを 国が取り上げるはずが無いと

反対されたのではと思うのです

 

しかし そんな周りの意見に紛らわされる事もなく 信念を貫いた方は素晴らしいと思います。

 

いつも言ってますが 出来ない理由を探すのではなく どうしたら出来るかを考える事が

素晴しいと思うのです。

 

ついつい 我々は そんな事して何になるのだろうと諦めてしまいがちですね、

 

という事で

 

今日は お年玉年賀はがき 当初はどのようなお年玉だったのか??

についてです。

 

景品は、日本郵便株式会社の社内会議で決定されているそうです。

 

利用者の声や世の中のブームをみて景品が決められていると言うのです。

 

毎年、商品が変化しているのは

時代に合わせ利用者の声を反映させているからなんですね。

 

第1回目から1950年代までは

・特賞 ミシン

 

・1等 純毛洋服地

 

・2等 学童用グローブ

 

・3等 学童用こうもり傘

が多かったようです。

 

 

この時代は特賞もあり1966年に廃止されるまで続いたのです。

 

第1回目から1950年代と言えばベビーブームとあり学童用のものが多く

 

1等はミシンや・タンスが多かったのです。

この当時、ミシンやタンスは高価なもので、

庶民の夢としてホームメイドで洋服を作りたいという憧れがあったようです。

 

1960年代は高度成長期に突入し、

3種の神器の1つであるテレビは、人気であり憧れの賞品だったそうです。

 

 

そして

1970年代に入ると

高度成長期が続き様々なデジタル機器が誕生し、

折り畳み自転車など生活をより楽しくするものも増えてきました。

 

2000年代に入ると

・電気自動車

 

・食器洗い機+食器セット

 

・ノートパソコン

 

・ハイビジョン液晶テレビなど

でした。

 

人々の価値観も変わっていき、真新しい商品も少なくなってきてますね。

 

年賀状お年玉くじの景品から、様々な時代の変化が感じられました。

 

お年玉くじの歴史がこんなに古いという事に驚きましたね。

 

これからのお年玉付き年賀はがきがどうなるのか楽しみですが

 

私は このサービスを見て

あるアイデアが浮かんだのです。

 

どうしても 今までのお年玉年賀はがきが このようなサービスが

このようなモノだったから

今後もその延長で考えていては 新しいサービスは産まれて来ないのです。

 

IT時代に入って 年賀状が売れないのであれば この ITサービスを活かして

年賀状の販売枚数が増える事を 何故考えないのか???

 

そこを 考えてみたのです

 

 

その

画期的なアイデアとは??????????????

 

それは???????

 

明日に続く、、、。

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