
EXECUTIVE BLOG
2025.9.15
高光産業株式会社
妹尾八郎です。
昨日までは
八瀬童子は天皇の棺を担ぐという特別な役目を代々果たしてきた一族と言う話でした。
日本の歴史を見渡すと同じように皇室や将軍家と深い関係を持ち、
世襲的に特定の役割を独占して担ってきた家々がいくつも存在します。
彼らは単なる家柄の高さではなく、
国家秩序の中で欠かせない役割を持っていたため、
他に代わりのない存在として時代を超えて重んじられたのです。
たとえば山科家は公家の中でも「武家伝奏」という独自の役職を世襲し、
天皇と徳川幕府をつなぐ交渉の窓口を独占していました。
朝廷と幕府の関係が微妙に揺れ動く時代にあって、
山科家の一言が両者の政策を左右することも少なくなく、
まさに八瀬童子が葬送の儀に不可欠であったように、
山科家も政務運営に不可欠な一族でした。
また勧修寺家は上皇や法皇の御所である「院御所」の管理を代々担い、
院政期から皇室と寺社を結ぶ要となりました。
単に御所の事務を管理するだけでなく、
上皇の側近として儀式を仕切り、
国家宗教や政治儀礼に深く関わってきたことから、
他家が容易に入り込めない独占的地位を保ち続けました。
神事を一手に掌握したのが吉田家です。
彼らは「吉田神道」の家元として神祇官を通じ全国の神社を統括し、
天皇の宗教的祭祀を支えました。
国家祭祀の体系を構築し、朝廷の神事を仕切った吉田家は、
神道界における絶対的権威を世襲する家柄であり、
皇室にとって宗教的支柱といえる存在でした。
文書や記録を専門に扱ったのが小槻氏で、彼らは天皇の机辺に仕え、
記録所や蔵人所を独占しました。
天皇の意志を形に残す役割を果たす彼らは、
政治的に表舞台に立つことは少なかったものの、
記録を掌握するという意味で非常に強い力を持っていました。
蔵人頭や史を世襲することで、
宮中の実務に欠かせない地位を維持し続けたのです。
宗教的役割の中でも特別なのが伊勢神宮の度会氏で、
外宮の大宮司を代々務め、
天皇家の祖神である天照大神を祀る神宮祭祀を担いました。
伊勢神宮は国家祭祀の中心であり、
度会氏は皇室と伊勢を結ぶ存在として権威を保ちました。
さらに徳川家からも篤い庇護を受け、政治的にも宗教的にも重きをなした一族でした。
加茂氏もまた、賀茂神社の神職を独占し、
特に天皇の即位に伴う大嘗祭に深く関わりました。
賀茂社の祭祀は国家的行事に直結しており、
その職務を代々守り続けた加茂氏の存在は、
八瀬童子が皇室の葬送に不可欠だったことと響き合います。
武家の立場で特異だったのが彦坂氏で、
彼らは徳川幕府から宮中監察として派遣され、朝廷の動きを常に監視しました。
幕府の威信を背負いながらも
朝廷に仕えるという二重の役割を果たした彦坂氏は、
他の武家が入り込めない特別な立場にありました。
このように見ていくと、
八瀬童子が担った「葬送と禁裏守護」という特別な任務に並んで、
山科家の「交渉」、
勧修寺家の「院御所管理」、
吉田家の「神事」、
小槻氏の「記録」、
度会氏や加茂氏の「祭祀」、
彦坂氏の「監察」など、
それぞれの家が国家運営の根幹を支える分野を世襲的に独占していたことがわかります。
これらの一族の存在は、単なる血統や格式に留まらず、
彼らが担う役割そのものが
国家秩序の安定に直結していたからこそ特別視されたのです。
代替の効かない役割を担った一族は、
その存続が国家の安定と同義とみなされました。
現代の私たちから見ると、こうした世襲的役割は閉鎖的に映るかもしれませんが、
当時の社会においては
「特別な家が特別な仕事を永続的に担う」という仕組みこそが、
天皇制や幕藩体制を支える装置だったのです。
八瀬童子の存在を知るとき、
同様に特別な一族が数多くいたことに目を向けることで、
日本の歴史における権力と伝統のあり方がより鮮明に浮かび上がってきますね。