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社長&顧問ブログ

2023.4.29

それなりに訳がある??

 

 

 

高光産業株式会社 妹尾八郎です

 

昨日からの続きです。

 

昨日までは 今の東京は昔の江戸のどのあたりと 思いながら

調べて歩くと これまたいろいろな事が分かり興味が更に湧いてきます。

 

漫然と歩くだけでなく 注意していると 色々な史跡や遺跡を発見することが出来ます。

 

先日書いた 二・二六事件処刑の史跡が NHKホールの近くにあるのを見つけたり

勝海舟と西郷隆盛の会見の場というのも 昨日 田町を歩いている時に見つけました。

 

ただ見つけるだけでなく この時 二人は何を話をしたのか?とかに興味が湧きますね

 

官軍代表と幕府代表がそこで なにを話したのか?

史跡には ただ 会見の場としか 書いていませんが

 

会見するにあたり だれがどうやって 連絡をつけたのか? それは 手紙なのか

それとも ある仲介人を介してなのか?

 

幕府側からしますと 薩摩の田舎侍ごときが偉そうにしやがってと思っていたのではないか?

それとも 天皇陛下の威光を笠に着て 西郷は圧力的に会談に臨んだのか??

 

その時 別室には 幕府の暗殺部隊とが配置されていたのでは??? とか

一つの史跡から 色々な事に興味が湧いてきます。

 

先日 街中の建物を見る事で 施主の思いを感じたりすることも楽しいですが

一つの史跡や 銅像を見て そこからも色々な興味を持てる事も楽しさの一つになっています。

 

そういう意味では 東京は 何も繁華街に行く事だけが楽しみではなく

色々な 歴史の宝庫ですから 史跡遺跡巡りは勉強にもなります。

 

そんな事で 昨日までの話の思案橋の事を思い出して行くわけでして

長崎にあった 丸山遊郭は 日本三大遊郭だったことを知る事が出来たのです。

 

そして 京都の遊郭が 島原遊郭と言う名前を付けられているのですが

京都なのに 島原とは いかに???? と

言う 疑問や興味が湧いてきますね

 

何故 京都にあるのに 島原遊郭と言うのかと言いますと

 

もともと遊郭があった場所が六条から九条に移転された事もあり

当時の移転の騒ぎが「まるで島原の乱のようだ」と言われたことから呼ばれるようになったそうなのです。

 

ですが ここで 又不思議に思うのは

江戸時代 まだ教育が普及されていたわけでもありませんね

 

ですから歴史の授業などないのですから 島原の乱の事を知っていたのか?? にも

興味が湧きます。

 

そして それ以上に興味が湧くのは 移転の騒ぎが島原の乱と 言われたと言う事は

急に移転が決まったからだと推測されますね

 

今の様に都市開発の邪魔になるとか 学校を作るから移転するとかならば

何となく理解できますが

 

急に 移転をしなければならないと言うには

それなりに何か原因があるからに違いありませんね

 

では

その原因とは何か??????

 

それは?????

 

明日に続く、、、、、。

 

高光産業株式会社 公式サイト

https://takamitsu.com/

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