
EXECUTIVE BLOG
2025.9.30
高光産業株式会社
妹尾八郎です。
昨日までは ミャンマーは親日国か? と言う話でした。
今日は アウンサンスーチーの父君である アウンサン将軍と30人の志士に
ついての話になります、、。
アウン・サン将軍と30人の志士とは、
ビルマ、現在のミャンマーが独立を目指す過程で登場した若者たちのことです。
第二次世界大戦前夜、ビルマはイギリスの植民地で、人々は自由を失っていました。
そんな中で学生運動のリーダーとして頭角を現したのがアウン・サンであり、
彼は「我らの手で独立を勝ち取る」という強い信念を持っていました。
しかし力の差は大きく、
自分たちだけで戦うことは難しいと考えたアウン・サンは、
同じ志を持つ若者たちと共に海外へ支援を求めに向かいます。
目を付けたのは当時アジアで欧米と戦っていた日本でした。
1940年、彼ら30人は秘密裏にビルマを脱出し、タイを経由して日本に渡ります。
これが「30人の志士」と呼ばれる所以です。
彼らは海南島などで日本軍から軍事訓練を受け、
ビルマ独立義勇軍を創設する準備を整えました。
日本にとってもこれは欧米の植民地支配を崩すための戦略であり、
利害は一致していました。
1941年に太平洋戦争が始まると、彼らは訓練を終えて帰国し、
ビルマ独立義勇軍を結成しました。
この軍は瞬く間に数千人規模に拡大し、日本軍と共にイギリス軍を攻撃し、
ビルマの制圧に大きな役割を果たしました。
1943年には日本の後押しで「ビルマ国」が建国され、
アウン・サンは国防相に就任します。
形式的ではあったものの、ビルマ人が自らの国を名乗った最初の瞬間でした。
しかし、日本の統治は次第に厳しいものとなり、
真の独立とは言えない状況に人々の不満が募ります。
資源の収奪や軍政の圧迫はビルマ人を苦しめ、
アウン・サンも日本への協力を疑うようになります。
ついに彼は決断し、連合国側へ転じる道を選びます。
1945年3月、アウン・サンは反ファシスト人民自由連盟を組織し、
日本に反旗を翻しました。
この転換はビルマの最終的な独立に大きな意味を持ちます。
戦後、彼はイギリスとの交渉を進め、
1948年、ビルマ連邦は完全独立を果たしました。
アウン・サン自身は1947年に暗殺されてしまいましたが、
彼と共に行動した30人の志士たちは戦後のミャンマー政治や軍の中心人物となり、
それぞれに波乱の人生を歩みました。
ある者は政権の高官となり、ある者は内戦に巻き込まれ、
またある者は歴史の波に飲み込まれていきました。
それでも彼らが残した功績は、ビルマ独立の象徴として長く語り継がれています。
この30人の物語は、ただ軍事訓練を受けたというだけではなく、
小国の青年たちが自らの未来を切り拓こうとした勇気の歴史であり、
アジア独立運動が国際政治の力学の中で展開された象徴でもあります。
日本にとってはアジア解放を掲げながらも
帝国主義的野心を隠せなかった矛盾を映し出すものであり、
ビルマにとっては日本を利用し、
やがて離反するという複雑な選択を迫られた歴史でした。
そして現代のミャンマーにとっては、
自らの独立を自らの手で勝ち取ったという誇りの原点ともなっています。
アウン・サン将軍と30人の志士の物語は、
戦争と独立、協力と裏切り、理想と現実が交錯するアジア近代史の縮図です。
常に正しい選択ばかりではなかったかもしれませんが、
自分たちの未来を信じて進んだ彼らの勇気は、
今を生きる私たちにとっても学ぶべきものが多いのです。