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2025.3.24
高光産業株式会社
妹尾八郎です。
昨日までは ペテロとパウロの話しでした。
キリスト教の事は何となく知っているかもしれませんが、
何故 ユダはイエスを裏切ったのか? 何故イエスは磔にされたのか??
をご存知の方は少ないかも知れません、、、
今日は この話に続きます、、、
イエス・キリストの生涯の中で、もっとも劇的で謎に包まれた出来事のひとつが、
弟子ユダ・イスカリオテによる裏切りと、その結果としてのイエスの十字架刑だと思います。
なぜユダは師であるイエスを裏切ったのか?
そして、
なぜローマ帝国はイエスを死刑にし、後にキリスト教を弾圧することになったのか?
ですが、、、、
新約聖書によると、ユダは銀貨30枚でイエスをユダヤ教の宗教指導者たちに引き渡しました。
表面的には「金銭欲」が動機とされていますが、
それだけでは語りきれない複雑な背景があるのです。
一説によれば、ユダはイエスが
「メシア」としてローマ帝国を打倒し、イスラエルの王となることを期待していたと言われています。
しかしイエスの教えは「敵を愛しなさい」「剣ではなく愛で戦いなさい」
といった非暴力・愛の精神が中心でした。
このギャップに幻滅したユダが、イエスの真意を暴き出すため、
あるいは過激な行動に駆り立てるために裏切ったという解釈も存在します。
また、神の意志によりユダがその役割を果たしたと見る神学的解釈もあります。
イエスの十字架による死と復活は、キリスト教にとって救済の根幹であり、
そのシナリオの一部としてユダの裏切りが「計画された」出来事だったという見方です。
また
イエスは宗教的にはユダヤ教の内部改革者でしたが、
政治的には不安の種と見なされる存在でもありました。
当時のユダヤ地方はローマ帝国の支配下にあり、パレスチナ地域では反乱や抵抗運動がたびたび起こっていたのです。
イエスが「神の国は近づいた」と宣言し、多くの群衆を引きつけたことは、
宗教的指導者だけでなく、ローマの総督ポンティウス・ピラトにとっても無視できない脅威でした。
群衆の支持を集め、「ユダヤ人の王」と呼ばれる人物が登場することは、
ローマ帝国の統治秩序を揺るがす危険をはらんでいたと言う事になるのです。
実際、ピラトはイエスの罪を問う宗教的根拠には関心がなかったとされていますが、
「自らを王と名乗った者」としてローマ法により処刑を命じたのです。
十字架刑は当時、国家に対する反逆者に科せられる最も過酷な刑罰だったのです。
イエスの処刑後、弟子たちはその復活を信じ、彼の教えを広め始めました。
キリスト教は当初、ユダヤ教の一派とみなされていましたが、
「イエスこそが真の神の子であり、唯一の救い主である」とする教義は、
ローマの多神教文化と深く対立するものでした。
特に問題視されたのは、キリスト教徒が皇帝崇拝を拒否し、
ローマの神々を拝まなかった点です。これは単なる宗教的異端ではなく、
「国家への不忠」とみなされ、弾圧の対象となったのです。
纏めますと
ユダの裏切りも、イエスの処刑も、単なる個人的な裏切りや政治判断ではありませんでした。それは宗教的、政治的、社会的な複雑な背景の中で起こった必然的な出来事でもあったのです。
そして皮肉なことに、イエスの死が新たな宗教運動の原点となり、
やがてローマ帝国をも変えていく力になっていったという歴史の逆転劇は、
今なお私たちに深い示唆を与えてくれていると考えられます。
では次に 興味が湧くのは
何故 あれが ローマに??? ですが
その話しは
明日へ続く、、、、。