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社長&顧問ブログ

2024.2.6

ギブミーチョコレート

 

高光産業株式会社 妹尾八郎です

 

昨日からの続きです。

 

お早うございます

昨日までは 京都大学アメリカンフットボール部ギャングスターズ創部の話でした。

 

創部に関わったのが 私の父である 妹尾隆一郎と その友人の 澤田久雄さんでした。

 

共に軍人出身で戦争の体験を基に アメリカンスピリッツを学ぶべく創部したのです。

 

そして この澤田さんの家系は超サラブレッドで お父様は 外交官で 外務次官 や

国連大使を歴任されていました。

 

更に素晴らしい事に お母さまは 三菱財閥創業家の岩崎家のご出身だったのです。

 

今日は このお母さまの話になりますが

 

父たちが 昭和22年に復学して大学でアメリカンんフットボール部を作る時代は

日本は 米軍による占領されている時代でした 彼らは占領軍として日本各地で統治の

仕事をしていました。

 

その頃のエピソードとして 子供たちが 米兵をみると「ギブミーチョコレート」

と言っていたと言う話を良く耳にしていました。

 

多分その頃子供たちが最初に覚えた英語が 「ギブミーチョコレート」 だったのでは

と思います。

 

今では信じられない光景が街中で見受けられていたのです。

 

そして 私が小学生の時は 日本も サンフランシスコ条約で独立を認められた後でしたので 占領軍はいませんでしたが

 

山手線の駅の出口には 傷痍軍人と呼ばれる旧日本兵の姿が見受けられました。

 

戦争で 手や足を無くした元兵士たちが 物乞いをしている姿が その頃あったとは

今の方には想像も出来ないことだと思います。

 

日本が戦争に負けて 米軍が進駐軍と称して日本に駐留して 日本を民主化に導いてくれたと言う良い話もある反面

 

どの時代でもそうでしょうが 素行の悪い米兵も沢山いたのも事実です。

 

彼らは 豊富に物資を持っていましたから 焼け野原で食べる事すら出来ない人たちからすれば羨ましくてたまらなかったのだと思います。

 

そうするとどうなるか?

米兵相手に商売をする人が出てきます その中でも 生活に困った女性は米兵に

媚びを売り 米兵と付き合う事で 命を繋いでいた人がいたのも事実です。

 

そうなると どうなるか?

 

米兵との間に子供をが出来た人も多数いたのです。

 

今では国際結婚は当たり前の時代で 私の周りにもハーフの方が多く居ます。

 

しかし 戦後まもなくは ハーフの子供たちは 混血児と呼ばれていましたし

その子供を産んだ女性にたいして 敵国人の子供を産んだと 非難されていました。

産まれて来る子を当然大事に育てる母親もいたのですが

 

当時の時代背景で 産んだ事も秘密にして育てる事もしなかた女性も多く居たのも事実です。

 

前にも書きましたが 太平洋戦争後 満州から引き揚げてくる女性の中には

ソ連兵によって乱暴された方もいて その多くが身籠ってしまった方もいたのです

 

博多港に引き上げ船が付いた時には 国の指導で 強制堕胎させられていた事もありました。

福岡の二日市には その子たちの霊を慰める慰霊碑も建っています。

 

今では想像も出来ない事が 戦時中や戦後すぐにはあったのも事実なのです

 

この事を知り なんとかしなければと考えて人がいたのも事実です

 

そして

その方が

話しは

 

明日へ続く、、。

高光産業株式会社 公式サイト

https://takamitsu.com/

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